クズの地平から見えることについて

 twitterを見ていたら、最近の社会人に仕事でありがちなことについて意見が交わされていて面白かった。

 簡単に言うと、

 社会人A「最近の社会人(部下、もしくは取引先など業務上接点のある人)は、仕事を頼んでも言われたことしかやらず、自分でその先を考え、その業務における最終的な着地点まで遂行することができない」

 社会人B「↑は、『業務の着地点』について説明をはしょるAの指示が悪いから動けないか、勝手に着地点を想定して自分で動こうものならそれが正しかろうとAが騒ぎだしてうぜーからやんないだけ」

 として、AとBで対立する構図になっている。

 

 なぜこれが俺から見て興味を引いたかというと、AとBは「そんくらい言わねーでもわかれや」という陣営と「言われもしねーでわかるわけねえし、仮にわかっててもやんねえわ」という陣営とで仕事に関する論陣を張り合っているわけだが、双方、結局、「仕事のできる人」同士が、互いに想像力かコミュ力をもっと持とうぜ、と主張し合っているだけで(もともとお互いに十分高いステータスを持ってるだろうに)、そこには「何を言われようが自分の仕事に対してピンとこないし、そのせいで当然何も上手くいかないんだけど、とにかく能力が低すぎるせいで汗水だけは人一倍かいちゃうバカ」の存在がまったく考慮されていないからである。

 

 AとBとは、人間は、想像力を働かせるか指示を出す方がちゃんと説明してあげれば、最低限の業務をこなすことができると考えている。要は、こなせないやつは、本当はこなせるはずなのに本人の努力が足りないだけだと思っている。

 もちろん、そういう人間もいる。それを、社会人Cとする。

 しかし、中には、上や取引先がどれだけ心を砕いて説明しようがまったく理解できず、発奮はするのだが、実際それを実行するとなると途方に暮れる人種が存在する。それを社会人Dとする。

 

 なぜそんな者(D)が存在するとわかるのか? それは俺がDだからである。

 

 D本人にまるでやる気がないなら関係者はそういうつもりで扱う(接点を持たない、閑職においやる)のがいいんだろうが、なまじっかマジメだったりするとDを含めて周り全体が地獄を見る。

 そして、おそらくAやBにはDという存在が理解できない。それは、自分が優秀で、誰かに指示を出されれば、指示の向こうにあるものも含めてすべて理解できるし(やるかどうかは別として)、自分が指示を出せば相手もだいたいそのとおりに動いてきたからである。

 そういうとき自分の理解できない相手とぶつかるとき、AやBはどう思うか。おそらくこう思う。「こいつは社会人Cだ」と。

 そして、Aは「考えりゃわかるだろ、自分で考えてどんどん動けや」と思うし、Bは「Aの指示が悪い。あれではCにはわからないし、仮にわかってるとしたら(本当は自分と同じBだとしたら)先行して叱られるのが嫌でやらないだろう」と思う。

 しかし、本当のところは? 本当に彼/彼女がCなのか、もしくはDではないのか…誰にもわからない。本人を除いては。

 

 

 もし、AやBが自分以外の社会人の在り方を意識することができたら、何が起こるだろうか。

 たとえばAが、なぜBが(昔はAであったかもしれないBが)、いまはそう考えるようになったのか考えてみたら。

 たとえばBが、いままでのやり方でずっとうまくやれてきたせいでああいう発言をしてしまうAの「しかたなさ」を想像してみたら。

 そして、Dという存在のどうしようもなさを双方が意識してみたら。

 たぶん、AとBとはもっとうまくやれるんじゃないかと思う。つまり、「言わねーでもわかれやボケvs言われもしねーでわかるかバカ」論争が、もうちょっとソフトに現実的なところで解決するような気がする。

 お互いにあるべきかたちに落ち着いてそうなったんだし、双方の主張ではすくいとれない領域の意味不明な存在もいる、という共通項を持ったら、仕事の効率ももっとよくなるんじゃないかな、と思う。こうして世の中はよくなるんじゃないか? 多少は。

 

 ただ、おそらくAとBは和解しないだろう。

 ここからがクズの地平から見える景色なのだが、AとBはSNSで仕事の話をして別に業務を効率化したいわけではない。他人がどうなるか、ましてや世の中が良くなるかどうかなんてどうでもいい。twitterのfavやリツイートの数字を増やして、対立陣営よりも稼いで、間接的に相手を打倒して自分の正しさを証明したいだけである。

 そこに手をとりあう余地はない。

 そして、Cはともかく、Dの存在が彼らに認識されることもないだろう。仕事のできない何者かはずっと、優秀なAから罵倒され、優秀なBから片手間の優しさを投げられたまま、結局「できるはずなのにやらない」という誤解を押し着せられたままだろう。

 Dでありクズである俺は、別にそれに不平もない。しかたがない。ただ、くだらねーな、と思うだけである。それでいいのかというと、わからない。おそらくよくはないだろうが、どうしようもない。以上。

アメリカ大統領選でフツーにアホのように驚いただけのことについて

 ドナルド・トランプが次期アメリカ大統領だという。職場で昼休みに点いていたテレビで「優勢」のニュースを観て、夜帰宅したら決着していた。

 

 驚いた。

 

 俺は30になったが、世間の人がちょっと引くぐらいものを知らないので、俺の中でアメリカ大統領選とはメールのおばさんと頭髪の怪しいセクハラおじさんとが繰り広げる口ゲンカだった。そして、おばさんが勝つと世の中がどうなり、おじさんだとどうなるのかなど、まったく考えないし考える気もなかった。twitterなど見ていると、みんな円がどうとか国防がどうとか言ってて、すげーな、と思った。 

 それでも、俺はメールのおばさんが勝つと思っていた。おばさんのメールがどれだけまずい行為だったのか、また、おばさんが嫌われる他の要因がなんなのか俺は知らないが、対する頭髪の怪しいおじさんは猥談垂れ流されちゃってて、p---y言ってる音声がダダ漏れちゃう人に誰が票を入れるんだと思っていた。

 おじさんはスキャンダル流された割りに善戦しているという。でもなんだかんだ言っておばさんが勝つでしょ、そういうもんでしょ。知ってるんだぼかぁ。だてに30年生きてないからね。

 

 結果どうなったか。

 

 おじさんが勝った。

 

 そもそも、おじさんはただのおじさんではない。不動産王(このキャッチも報道の受け売りで俺の知識のつたなさを物語るが)で富豪になる時点で並のおじさんではないし、大統領選で並みいるライバルを蹴落とし、最有力候補の一角となり、最大の強敵であるおばさんとの優劣は開票直前になっても不明、とされているおじさんが普通のおじさんであるはずがない。

 事実を、事実だけを拾えばおじさんが大統領になることはありえる。というか本当にそうなった。俺の、「結局おばさん勝つでしょ」とか関係なかった。そういうもんでしょ、とか全然関係なかった。そういうもんじゃなかった。

 

 繰り返すが、それでも俺は驚いた。

 

 確信を持って出した解答にペケがついて返却されたとき、おおげさなことを言うと、それはただの誤答や減点だけを意味しない。解答者の、そいつの人生におけるルール自体が間違っていたのである。

 

 俺と同じように自分のルールが間違っていたことを知った人は、今日この世界に何人ぐらいいるのだろうか? 多いのだろうか? 少ないのだろうか? それは誤答を発する前に気づきようのない誤りだったのだろうか? 彼らに情報をもたらすメディアに一因があるのか? それとも、単に彼らの勉強不足のせいなのだろうか?

 

 とりあえず俺の答案用紙にはでっかいバツがついて返ってきた。俺はクズなので、以降はがんばって勉強しよう、という風には思わない。おじさんが大統領になって世の中が、日本が、俺の生活がどう変わるかにも想像を働かせる気は起きない。

 また、どう知識を集めようと世界はそれをすり抜けていくものだから、という悟ったような結論まで進む気もない。

 ただ驚いた。そんな感想で終わっとくのが俺にはお似合いだと思う。p---y。

イモムシ、もしくは世の中はちゃんと気持ち悪いことについて

 今朝歩いていたら、歩道のわきにイモムシがいた。

 サツマイモのような色としっぽのトゲが毒々しいやつが、ずんぐりしながらそこでじっとしていた。

 俺は、うわー、などと言いつつ歩くのをやめ、かがみこんでその姿をしばらく眺めていた。

 

 虫が好きだがイモムシは嫌いである。その一方で、外で見かけたりするとついじっと見てしまう。

 つくづく気味の悪い生き物だ。もしその存在を知らない人がいたら、俺がその生態について説明して聞かせてそれを信じるだろうか。

 「子どもの頃は棒に足がついたみたいなかたちなんだ。でも、成長したら殻を作ってその中で一度体をどろどろに溶かして、それから、羽を生やした姿になって殻から出てくる」。

 きっと信じないんじゃないだろうか。

 そしてあの遠慮なく張りつめたような体ときたら。今朝見たやつも少し大きすぎるんじゃないですか? と言ってやりたいような立派な姿をしていた。大人になったときに羽になる部分に使うための肉体も含めてあの姿で、ひたすら、いつか空を飛ぶときのために力を蓄えるためのかたちなのだと感じる。そのヒタムキさも生理的に気持ち悪い。

 

 ただ、俺はそんな気持ち悪いイモムシを見るたびにある一つの感覚をいつも抱く。それは、「世の中はちゃんと気持ち悪い」という安心感である。

 

 俺は人間としてのキャパシティがとても小さい。そんな俺は、しんどくなると生活の色々なものを遮断していくという行動をとる。

 親しい人とも話をしなくなり、どこかの店にもよらず自宅と会社だけで日々を完結させる。テレビも見ない。雑誌も見ない。

 そうすると、世の中というのはだんだん、「やるべきこととやらなくてよいこと」、「気持ちいいことと苦しいこと」という風に、すとんすとんと最低限の箱におさめられるようになっていく。

 これはきっと、俺が子どもも嫁さんもおらず両親も健康…と周囲に心配のない環境であることも大きい。が、ともかくそんな生き方をすることが一応許されている。課題と解決、快楽と苦痛の生活。そこには、大変なことはあっても、正体不明の気持ち悪さというものはない。

 

 オタクなのでまあ一応…つってどういう生活時期だろうとマンガと小説は読む。

 最近だと『ワールドトリガー』16巻、『BLUE GIANT』9巻、『惑星9の休日』、『海流のなかの島々』がよかった。

 そこに描かれたものはどれも熱く、もの悲しく、美しい。

 これらの作品内で、人間が対するモノは別の人間だったり、自分自身だったりする。世界とは自分を試す場所、もしくは希望と絶望を万華鏡のように鮮やかに振りまく玉手箱である。

 ここにも気持ち悪さはない。正体不明なものは、せいぜい人のこころぐらいである。

 

 俺はまったく断じてこれらの作品を貶めるつもりはない。でも、単純化した日々の中でこれらの作品を手にとった俺は、それを読んで読み終えて「ああ、良かったな」と思い、「あ、そういえば」とやりたくないことを思い出し、「まあしょうがねえな」とかなんとか言ってなんとなく家を出て、たまたま道で見かける一匹のイモムシにきっとガツンとやられずにいられない。

 

 俺が世の中をどう単純化しようと俺の勝手で、そうすることで楽になること、そうすることで得られる強さがあるから別にいい。

 でも、その中で処理できない圧倒的に気持ち悪いものをいきなり現させてみせるのは世界の勝手で、そしてその方が正しいんだからしかたがない。イモムシはいなくならない。イモムシはイモムシの勝手で蛾になるために頑張って葉っぱとかを食う。

 俺は彼らを目にしたときの気持ち悪さが嫌いじゃないのだ。結局。いや、嫌いだけど。

 なんとなく自分がちゃんと正しいものに接続されたような安心感があって、それで、できればその存在を受け入れたい。でも、なかなかそうもいかないんですよ、って変な恥ずかしさというかむずがゆさがわいてきて、これは俺にとっていい気持ち悪さなのだ、と地面に転がった生き物を見ながら思うのである(悪い気持ち悪さについてはいつか機会があったら書こうと思う)。

サマーソニック2016の感想について(サカナクション編)

はじめに

 ソニックマニア2015最高! perfumeかわいい! マンソン、プロディジーカッコいい! 2016年も最高のアーティストの演奏で夜通し踊りたい!

 

 って、あれ…?

 

 「2016年ソニックマニア中止のお知らせ」

「リアクションガイズ」の画像検索結果

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 でも行ってきた。
 
 レディオヘッド観たい友人の同行と、サカナクション観たい、あとやっぱ俺もついでにレディへ観てえ、の合わせ技一本による決心。6月のことであった。
 というわけで、以下サマーソニック2016、東京はサカナクションレディオヘッドのステージレビューです。
 
開演まで

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 8月21日14時頃、東京会場の公演を見るべく海浜幕張に到着。知人と合流し、他のお客さんたちの流れに乗って幕張メッセに向かう。
 日差しがものすごい。来るときに買ったポカリを早くも空けて、水を追い買いする。
 前夜祭であるソニックマニアは過去3回参戦(笑)したことがあるけど、日中開催のサマーソニックははじめて。メッセに入り、トイレの行列、空いてるスペースで横になって体力を回復させてる人たちの光景にフェスの空気を感じつつ、場内右手の通路から屋外へ。いざ、未知の戦場マリンステージに突入したのだった。
 
サカナクション…エンターテイナー。そして、けっこう汗くさくロックバンド。つまり、カッコよし
 前回サカナクションを観たのは2014年のソニックマニア。そのときと同じ、「ラップトップコンピューターの前にメンバーが集結するかたちで開演→そこから展開してバンド形態にフォルムチェンジ」というスタイルが今回もとられる。
 
 この日は、後半の怒涛の攻勢がイカす『ミュージック』で開戦。その後、『アルクアラウンド』、『Aoi』とアガる曲が三連続。
 いきなり沸かせに来た印象が強く感じられたのは、おそらく会場内に一定数いるだろう「サカナではなくレディへの位置取りが目的でいまから会場内にいる勢」まで楽しませる作戦…かどうか知らないけど、いきなり体揺すぶり続けられる十数分。
 
 『蓮の花』からしばらくスローな曲が続いた後、舞妓さん?もステージに交えて再度攻撃態勢。『夜の踊り子』、『アイデンティティ』、『ルーキー』と、陽が落ち始めた場内を疾走。最後は『新宝島』で〆。PVでもやってたサビ前の「オゥ!」ダンスが観られた。
 全体的に縦ノリできる曲が多く、俺ぐらいの「体動かせるサカナクションが好きなライトなファン」がけっこう得するセットリストかなあ、とか勝手に思いました。
 
 感じたのは、この人たちはやっぱりロックバンドで、汗くさくてカッコいい、ということ。
 開演時のラップトップ形態が示すように、電子的でスマートな部分も確かにこの人たちの一面だと思うけど、それはあくまで一つの表れに過ぎなくて、最初つけていたロボメガネを外した一郎さん(山口)は喉にスジを浮かべて叫び汗を散らせ、踊って煽って踊る激情と身体のヒトだった。
 途中でなぜか和太鼓をぶっ叩くパートがあったんだけど、他のメンバーの人もなぜか獅子舞を従えて楽しそうにドコドコやってたりとかギターの人の『新宝島』のソロとか、みんな体使っててバンドしてていいなあ、とか思った。
 
 屋内会場であるソニックマニアからサカナクションを知った俺としては、実は室内の音響と照明で観た方が没入できるバンドだと勝手に思っていて、それは正直この日のサマソニを体験した後もそうなんだけど、覆うもののない空の下で体から吹き上がる熱気もあらわにロックしてる一郎さんたちは、これはこれでなかなかよかったと感じた次第です。ちなみにセットリストはコチラのサイトに詳しい。
 
 長くなったので続きは分載。後半はレディオヘッドの感想。です。

ポケモンGOを通して思った「オタクを嫌うオタク」について

 ポケモンGO界隈で様々な情報に接しながら、ある感情を抱くことが多くなった。同属嫌悪である。そのことについて書く。

 

 俺はオタクなので、その憎悪が向かう先は同じオタクということになる。

 最近ポケモンGO関連で「オタクうぜえよ」と思う機会が二度ほどあった。

 1回目はtwitterで「ポケモンGOやって人に迷惑かける人はやってなくても普段から迷惑かけてる」というツイートがRTされてるのを見たときである。

 いやあ、それはどうなんですか。どうだろう?

 

 俺は違うと思う。何かがある人のそれまで顕在化していなかった面を触発、増長させる事例はたくさんある。あれさえなければああならなかった物と人の組み合わせ、良いものでも悪いものでも色々あるはずだ。

 ただ、発言が全面的に間違ってるとは思わない。じゃあ俺をムカつかせたのはなんだったのか?

 俺をムカつかせたのは、この意見とはまったく別に、他のポケモンGOユーザーがいかにも我が意を得たりという感じでわやわや沸いてきてわっしょいわっしょいRTしてるその状況だった。お前ら非ユーザーに対する反論を用意するのと、同じユーザーだけど気にいらないやつを自分と差別化することに必死すぎんだよ、おとなしくひとくくりにされて批判されとけ、という感じだったのだ。

 

 2回目は、やくみつるポケモンGOユーザーを心の底から侮蔑するという発言をしたときである。

 案の定、「人の趣味をとやかく言うな」とか「ゲームから学べることもたくさんある」とか、やくみつるはボロクソ言われフクロにされていた。

 

 ま、そういう考え方もあるわな、とやくみつるに対して思っていた俺をイラつかせたのは、このときも反論する側の必死さだった。

 「それ」しか持っていない者が唯一の所有物であるそれをコケにされたとき、彼らは怒りながらも喜び混じりで反論を振りかざす。いざ批判されたときのため、かねてからうす暗いところでひっそりと研いでいた反撃の刃を。

 俺にはその必死さが不快だった。

 お前ら本当にそれしかないんだな、と思う。他の何かを探そうとはせず、批判にはどこまでも不寛容で、身内の中で攻撃の材料を交換し育て合いながら、敵が罠にかかるのを待ってるんだな、と思う。ムカムカする。

 

 …うーん、でも、俺はなんでこんなに彼らに気持ちを逆なでされるんだろう?

 

 同属嫌悪は、自身の嫌な部分について、それを同じように持っている別の人間から見せつけられたときの不快感を憎しみに転化することで生まれるらしい。たぶんそのとおりだと思う。

 

 俺が見つめて嫌うべきなのは、本当は俺自身なんだろう。

 他者に不寛容なのも、同属内での差別化に執心しているのも、前述した内容を読み返すと、本当は俺自身であることがよくわかる。

 俺はたぶん、俺の方こそゲームとマンガしかない、そんな自分の生活が嫌なのだろうな。

 だから「たかがゲーム」でカッカくる他のオタクを見ると、自分の最悪の姿を見せられているようで、やめてくれ、となるのかもしれない。そして、それに毒づくほど自分がそこから距離をとれるようで安心するのかもしれない。

 ポケモンGOは、まったくはからずもそんなことを気づかされる機会になった。

 

 で、その後どうすればいいかはいま考えている。

 オタクが趣味の問題なら、いまから人生パリピに舵を切っていち抜けてしまえばいい。

 でも、中身ではなく生き方の問題だったら? そしたら俺が浜辺でビール片手にEDMで日没まで踊ろうが俺の心は憎悪の虜のままだ。

 うーん、とか勝手に悩みながら、ポッポからアメ(進化素材)を剥ぎ剥ぎ博士に送る日々。いまのところ。以上。

ポケモンGOについて①

 俺のダウンロードしたのはドードーGOだったのか、というぐらいドードーばかり出るが、たまに出るレアポケ、CPの高いポケモンにテンション上がりつつ、ポケモンGOをそれなりに楽しんでいる。

 

 ただ、プレイしていて、広く楽しむためには、というかジム攻略するには、積極的に情報を収集しなければやってらんないゲームだな、と感じた。

 他のプレイヤーがジムに配置しているポケモンのCPが高すぎて、ぶらぶらしながら出てきたポケモンを気まぐれにつかまえる、ぐらいのプレイングで育てた自分のポケモンではちょっかいすら出せない感じである。

 

 どうすりゃ強くなれるのか? ってんで調べたところ、次のようなことらしい。

 歩いていると佃煮にするぐらい(Ⓒ西原理恵子)出てくるポッポをつかまえ続け、ポッポを進化させる素材を集めてからしあわせタマゴを使用、一気にポッポを大量に進化させて経験値を獲得、プレイヤーキャラのレベルを上げるのが強くなる近道、とのことだ。

 ただ、俺の中のポケモンは、自分の好きなポケモンを気まぐれにつかまえてタイプとか秘伝要員とか取捨選択しつつ、情報遮断の無手勝流でも強引に打開することがわりと許されているゲームだったので、この手段をとるの、個人的には少し抵抗があるのだな。

 俺の知ってるポケモンは最初からこういう汗かかされるゲームじゃなかったのに。「これはもうポケモンじゃねえ」というべきか「ポケモンも変わったな」というべきか…。

 しょーがないので進化させるために欲しくもないポッポを次から次に死んだ目でつかまえては博士に送りつけている(ただ、よく考えると本家のポケモンもクリア後には個体値厳選のために無数にボールを投げ卵を孵すゲームに変わるので、ある意味ポケモンとしての路線を踏襲しているといえばしている)。

 

 一方、いらんやつを退場させるには博士に送る、というプロセスにポケモンらしさを勝手に感じたりもした。他のゲームだと、不要なキャラは餌として食わせるとか換金するとかのイメージが強いもんで。

 「あ、この世界的には不要なキャラでも完全に消滅するわけじゃないんだな」という、なんにほっとしてるのかわからんけども妙な安心があったりした。

 

 以下、雑感など書く。

・歩いていて、ナッシーだのギャラドスだのジムの頂上にライトアップされている強ポケの横を通り過ぎていくときが世の中の広さを感じさせて俺はなんか好きである。この世界観における底の深さを感じさせるというか。

 いまのところは初代カントーポケモンしか出てこないけど、ゆくゆくこれが全国版に拡大されていき、グロスとかガブリとかに見下ろしてもらえるんですかね? わくわくする。

・なつき度とか性格とか、同じポケモンであってももう少し個性が出る要素が追加されると思い入れが増すのだけど。

 現時点ではCPと技ぐらいしか違いがなく、同じポケモンでも後発でCPが高いのが見つかると前からいたのはあっさりお払い箱になってしまう。やや寂しい。

・御三家は野生で出現されると個人的には特別感が薄れて微妙な感じ。最初選ばなかった残りの二匹とか進化素材とか、ログインボーナスで手に入るみたいな扱いにして欲しかった。

・交換機能はいつか実施されるのだろうか? 珍しいポケモンを手に入れたり育てたりするために外を歩く、というゲームの中核と反発する部分はあるけど、他のプレイヤーと接点を持つ機会がもうちょっと欲しいというのもあって、期待しているところ。

 

 ともかくそんなことを考えながら今日もポケモンGO。先日アップデートが実施されたらしい。ありがたや。ところでポケモンが出現したとき振動して知らせる機能がドードーだけシカトする改良はまだですかね?

『双亡亭壊すべし』1巻の感想について

 先日御茶ノ水に行ったら書泉ブックマートABCマートになっていた。閉店したのは去年の9月で、ニュースにもなっていたようだけど全然知らなかった。

 本の街で本屋が潰れる時代か。amazonの功罪、とか勝手に5分ぐらい考える。

 確かに、俺は本も漫画もほとんど本屋で買うけれど、たまにamazon使うと「こりゃあ便利だわい」と思うし、あえて書店に足を運ぶ理由なんて正直「書店という空間が好きだから」というふわふわしたことしか言えなかったりするただ、そのふわふわした理由こそが絶対に譲れないものであったりもするが)。

 浪人時代によく通った本屋だった。悲しくなる。

 また、こちらはまったくニュースにもなんにもならかったが、最近近所にあったエロ屋がひっそりと閉店した。

 エロ屋というのは俺の造語で、どこの街にも一つはある、一般向け書籍が商品全体の2割ぐらいで、店内入り口に配置されたこれらを抜けたその奥に残りの8割ぐらいを占めるエロアイテムがどわあっと展開されている、そんなラインナップで経営している店のことを指す。

 2回ぐらいしか入ったことはなかったが、店内に貼られたAV女優のポスターが通りからのぞいていて、歩いて通りがかるたび横目で盗み見していた場所であった。

 考えてみればエロ屋も厳しい。買う側として、宅配に頼りたい気持ちは書籍より強いかもしれない。

 書泉ブックマートABCマートになったが、エロ屋に新しいテナントは入らないままだ。しばらくAV女優のポスターだけが残っていたがそれも外されて、何もない空間がぽっかりと空いている。

 少しずつ何もかもなくなっていく。最後は俺の家と俺の大嫌いな職場とそれをつなぐJRの駅、あとはamazonの巨大物流センターだけが残るんだな、とかイメージする。

 

 …という変わっていく建物の話を経て、絶対破壊されない不変の建物の話である。

 『双亡亭壊すべし』は藤田和日郎による少年サンデー連載中の戦闘漫画。『双亡亭』とは作品に登場する謎のお化け屋敷のことであり、タイトル通りこの双亡亭をなんやかんやあってムカつくんでぶっ壊しますわ、というのがメインテーマである。

 物語の導入、双亡亭の中で、一緒に建物に入った少女を探す二人の少年が描かれる。彼らはようやく少女を探し出すが、その手を引いて双亡亭を出ようとした瞬間、少女は奇態な化け物に変貌する。思わず手を離した二人に彼女は言う。「ワタシヲオイテイカナイデ」と。

 年月は過ぎ、少年たちは、一人は日本国総理大臣、一人は防衛大臣の地位へと登りつめていた。おそらくはそのためにこれまでの日々を重ねた彼らは、自衛隊に一つの指令を下す。「通称『双亡亭』なる地上家屋を空爆せよ。『双亡亭』壊すべし」と。

 しかし、おおかたの読者の予想通り、双亡亭はノーダメージで爆炎の中に残存するのであった。

 この空爆と前後して、双亡亭をめぐり新たな因縁が動きだす。

 双亡亭の一画にあった使用人用の土地に引っ越してきたが、父親を屋敷の新たな犠牲者として「喰われて」しまった少年。

 少年の姉であり、呪いを払う天才を見込まれ山で修行していたが弟の危機を知って下山した巫女の少女。

 双亡亭の隣にたつボロアパートに住む貧乏絵描きと、絵描きと同じ姓を持ち、45年前に行方不明になった後突如空中に出現した旅客機の中から、45年前の容姿のまま発見された謎の少年。謎の少年は見つかったとき正体不明の怪物と戦っており、自身の体をドリル状に変形させてこの怪物を粉砕してしまう。

 こうして、ドリルの少年が戦闘中に発した「オマエラミンナコワシテヤル」という言葉と意志が代表するように、屋敷にうらみを持つ者と化け物退治の腕に覚えのある猛者が集合し、物語が動きだす。「双亡亭壊すべし」という、その標語のもとに。

 

 ここまでほんの第1話。飛ばすなあ。アクセルベタ踏み。

 大ボスが生き物ではなく建物というのが珍しい。気が早いけど、「壊すべし」とタイトルにうたう以上、屋敷を最後どうぶっ壊すのか期待している。

 ドラクエゾーマ攻略における闇の衣をはがす的なのが必要なんだろうか。空爆より強烈な物理攻撃で壊すとかでも面白いけど。

 相変わらず藤田和日郎の描く女の子がいい。戦闘巫女の紅(クレナイ)さん。おかっぱの造形とマジメだけど弟のことになるとネジが飛ぶところ。あと方言。かわいい。

 それと紅さんが戦闘前に詠唱する祝詞みたいなんとか霞が関登場とか(環境省っていうのが個人的には珍しかったけど)、厨二的にも美味しかったです。

 

 双亡亭への本格的な内部侵攻は次巻に持ち越しのようだけど、俺みたいな建もの探訪(異常なもの限定だけど)好きとしてはどんな変態構造とイベントが待ち受けるのかわくわくする。

 後はドリル少年の正体と双亡亭の存在はなんか関係があるのか、とか総理大臣と防衛大臣が双亡亭をぶっ壊したいのは本当に昔の事件を決着させることだけが目的なのか、とかが気になる。

 個人的にはあんまり話を広げすぎず、あくまでいち地方にある一つの変な建物をみんなで頑張ってぶっ壊します、という話を、ただし使用する火力は特盛りで、という絶妙なバランスで描いてくれると楽しいなあ、と思いました。面白いです。以上。

 

 3巻の感想はコチラ

 

双亡亭壊すべし 1 (少年サンデーコミックス)