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惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

はじめに

 ここ4年間くらいの記憶がないのである。
 
  俺は1年の留年を含め5年通った大学を卒業し、そのまま社会人になった。4年前のことだ。
 
 大学の頃の記憶もかなりあいまいなので都合9年間くらい覚えていることがいい加減な期間があることになるが、それにしても勤め始めてからの4年間は特にひどいのだ。
 
 何も覚えていないし、思い出すのに時間がかかるし、思い出しても他人事のような気がする。
 
 と言って、感情の起伏なく黙々と生きてきたかというと、そーでもない。
 
 いま俺の心中には疲れとか妬みとか憎しみとか、そーいうネガティブ寄りのやつとうまく分類できない感情が積み重なっていて、それは無であることとはまったく違っていて、そして俺は働き始めの初期から、なんなら最初の一週間目から、だいたいこんなような状態でようようよろぼいながら生きてきたような気がする。
 
 なので、昔を思い返すと出来事の一つ一つを細かく浮かべることこそできないものの、漠然と…というにはかなりしっかりとした実感を伴って、「とりあえずどーにか生きてきたな…。どーにか生きてきただけだったな…」という、徒労感みたいなものは確かにあるのだった。
 
 さて、そーいう積もったしんどさとはまた別に、どうやら俺がこの4年間一応生きていたらしい、別にキング・クリムゾンとかのすごいのを喰らって時間が年単位で吹っ飛んでたわけでないらしい証拠が、ブログの背景に使った写真にもがっつり映り込んでいる漫画と本の山である。
 
 京浜東北線沿いに勤め東京駅で中央線に乗り換えて帰ってくる俺は、仕事帰りに構内の啓文堂や東京駅の丸善で書籍を買っては電車内で読んだり家で読んだりした。
 
 せっせと持ち帰り、その本を部屋に積んだ。
 
 やがてそれらは本の山になった。
 
 このブログは、本を紹介するブログ。紹介するのは山の一部になっている本。
 
 うろ覚えだが、昔伊集院光「男が洞窟の中で一人で誰にともなくしゃべり続けている、俺のラジオはそういうもの」みたいなことを話していて(いなかったかもしれない。わからない)妙に印象に残っていて、それにならうなら俺がイメージするのは山から男が本を片手に急に降りてきてその本について何かわめいてから本をおいて山に帰っていくという光景だ。
 
 男が本の話をしながら、昔のことを少しでも思い出してくれたら俺は嬉しい。誰かそれを目にした人が本について興味をもってくれたらもっと嬉しいが、それは高望みがすぎるだろうか。
 
 最後に。俺は最初、「4年間かけて漫画だの小説だの買い続けたら、部屋がこんなになっちゃった。俺ってば読書好き!ぺろ!」という展開にするつもりで写真を撮ったのである。
 
 ところが、いざ写真を見て頭に浮かんだのは、用途がどうこうとかいう
以前の、
「惨状」
という言葉その二文字のみだった。
 
 この塚に手を入れて少しでも整理がつくとすれば、それこそ記憶云々よりももっと現実的に意味のあるものをこのブログは与えてくれるのかもしれないと、なんとなく思うのだった。