惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

27時間テレビで思ったこと、もしくは笑うことに関する整理について

  ※27時間テレビ全体の感想を期待されている方、フジテレビはクソテレビ局でお台場にあるあのでっかい玉の中いっぱいにたぶんゴミが詰まってる、みたいな内容を期待されている方、いらっしゃったらたぶん肩透かしです。すみません。

 

 『牡丹灯籠』という落語が好きで、噺家が演っているのを(「やっている」と書いたつもり。一度言ってみたかった)録音したやつをPCの中に放り込んでいる。

 取り込んだのには古今亭志ん生が演ったやつと三遊亭生が演ったやつの2種類があって、俺は志ん生のバージョンの方が好きである。それぞれ個性が違っていて志ん生の愛嬌のあるじいさんの語り口が好きだから、というのもあるけども、もうひとつ大きな理由だと思う要素がある。

 圓生のバージョンは、もしかするとスタジオで録音されたものかもしれない本人の声しか聴こえない内容だ。一方、志ん生のバージョンは寄席を録音したものであるらしく、観客の笑い声やひいてはその場の愉快な空気みたいなものがなんとなく音声にこもっている。

 

 志ん生が面白いことを言って、俺自身は声が出るほどおかしくはないけれども、他の人がけらけら笑っているのを聴くとなんとなく気持ち的にはゆるまる。それで、そのうちに俺も「へっへ」とかってキモく笑いを洩らす。

 単に演者の言動の面白さだけで生まれるのではない、その場の空気が許す笑いもあると思うのだ。もちろん周りがどうとか関係なく反射的に噴き出す笑いもあるんだけど、他の人(それは現実的にその場にいるという意味合いだけじゃなく、上に書いたように記録された音声の中だけの存在だったり、「常識」「良識」といった「概念」としての存在も含む)と同じという安心感ありきというか、「笑ってOK?OK?よしOKね」っていうのが無意識のところでベースにある、そういうおかしさみたいなものがあると思う。

 

 今日の昼間、27時間テレビ出川哲郎がドッキリで水中に落ちていた。

 『世界の果てまでイッテQ!』で出川がペットボトルロケットで空を飛ぼうとしたとき噴射直後に前転してものすごい勢いで砂浜に突き刺さったのをみて死ぬほど笑った俺なので、その後もVTRでこの映像が紹介されるたびに笑っている俺なので、リアクション芸の笑いとしての是非とか問うつもりはゼロである。笑いとしての質が、とかいじめにつながるとか、どうでも…よくはないのかもしんなけど、ここでは触れない。

 ただ、さっきの出川は笑えなかった。自分が話をしている最中に水に落とされて本気で怒っているように見えたし、スタジオの雰囲気も「あれ、出川マジでキレてねーか?これは笑ってていい状況なのか?」というのが出ていた気がする。

 

 出川が本気で怒っていたのかはわからない。でも、他の演者がそれに対する反応を選びかねているのが視聴者(俺)に伝わった時点で、笑えない。

 あるいは他の演者も別にたじろいでおらず俺が早とちりしただけなのかもしれないが、俺に「他のやつひいてんじゃん」と見えた時点で、とりあえず俺は笑えない。

 どうすればよかったかというと出川も実はこんなん知っててキレてるのはフェイクだぜ、ってのをわかりやすくしつつ他の演者みんなでやいのやいの騒がしく言うっていう、それはそれでグロテスクなのかもしんないが、まあ要はそういう安心感というか空気を作る努力と見せ方が必要だったんじゃないか、と思う。

 

 俺は27時間テレビが嫌いだけども、27時間テレビ、ひいてはフジテレビを嫌いという人はもっと嫌いだ。おかしいことを言っているようだけど俺は俺のことも嫌いなので(同じくらい好きだけど)、論理的には間違ってないのだ。たぶん。

 なので、27時間テレビの構成≒フジテレビの凋落の象徴みたいな語り方で「27時間テレビつまんねーよ。やっぱフジは常識の欠落したクソだな」みたいなのを目にすると反射的かつ感情的に意地悪を言いたくなる。

 「言うほどどこも変わんねーしどれもそんな面白くねーだろ」と。

 「お前らのその意見はフジテレビって入り口を通さないでも表に出てきたもんか?俺らみんなにその“良識”?みたいなもんが本当にあったら、世の中もっとよくなってんだろ?」と。(それはお前が世に倦んでるだけだろ、とかてめーのこと棚にあげてほざいてんなよって反論は…えーと、的を射ている。すんません)。

 

 ただ、フジテレビが斜陽になっているならそれは上に書いたような「他の人と感覚を共有することで生まれる、笑ってもOKな空気を全力で死守する」「悪ふざけするのは最低限その範囲で」ってルールをナメてるところがあったりするかもね、みたいなことは今日思った。

 だまされて水中に落ちたやつをみんなで笑うわけだから、そこに「あれ?これありなのかな?」ってのいうのが一瞬でも入る余地があったらダメなんだろう。だってそもそも普通はありじゃねえんだから。そこから後ろめたさを薄める細工は必要だし、それを怠ったり失敗したうえで計画を強行するのは、製作者の「分」を出ているんだと思う。

 

 もしかするとそこにインターネッツの台頭があって、視聴者から後ろめたさはなかなかぼやかしにくくなってるのかもしれない。後ろめたさを嗅ぎあてること自体がゲームになっていたらなおさら難しいわな、とは思う。でも今日はこれ以上は書かないでやめとく。

 前述したように27時間テレビが嫌いなら27時間テレビとフジテレビが嫌いという人はもっと嫌いなので、フジテレビがんばれ、がんばって面白い番組作れとか思う。

 でも俺自身最近あんまりテレビ観ねえしフジは特に観ねえし、作っても気づくチャンスがあんまりねえから、しょうがねえよなあ、もう滅んでもしょうがねえかなあ、みたいな、結局誰の味方にもならないで敵ばっかり認定する自分勝手なことを言って終わりにするんだった。以上。

 あ、でも『全力!脱力タイムズ』は観てみようと思ってます。では。