読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

クズの地平から見えることについて

思うこと

 twitterを見ていたら、最近の社会人に仕事でありがちなことについて意見が交わされていて面白かった。

 簡単に言うと、

 社会人A「最近の社会人(部下、もしくは取引先など業務上接点のある人)は、仕事を頼んでも言われたことしかやらず、自分でその先を考え、その業務における最終的な着地点まで遂行することができない」

 社会人B「↑は、『業務の着地点』について説明をはしょるAの指示が悪いから動けないか、勝手に着地点を想定して自分で動こうものならそれが正しかろうとAが騒ぎだしてうぜーからやんないだけ」

 として、AとBで対立する構図になっている。

 

 なぜこれが俺から見て興味を引いたかというと、AとBは「そんくらい言わねーでもわかれや」という陣営と「言われもしねーでわかるわけねえし、仮にわかっててもやんねえわ」という陣営とで仕事に関する論陣を張り合っているわけだが、双方、結局、「仕事のできる人」同士が、互いに想像力かコミュ力をもっと持とうぜ、と主張し合っているだけで(もともとお互いに十分高いステータスを持ってるだろうに)、そこには「何を言われようが自分の仕事に対してピンとこないし、そのせいで当然何も上手くいかないんだけど、とにかく能力が低すぎるせいで汗水だけは人一倍かいちゃうバカ」の存在がまったく考慮されていないからである。

 

 AとBとは、人間は、想像力を働かせるか指示を出す方がちゃんと説明してあげれば、最低限の業務をこなすことができると考えている。要は、こなせないやつは、本当はこなせるはずなのに本人の努力が足りないだけだと思っている。

 もちろん、そういう人間もいる。それを、社会人Cとする。

 しかし、中には、上や取引先がどれだけ心を砕いて説明しようがまったく理解できず、発奮はするのだが、実際それを実行するとなると途方に暮れる人種が存在する。それを社会人Dとする。

 

 なぜそんな者(D)が存在するとわかるのか? それは俺がDだからである。

 

 D本人にまるでやる気がないなら関係者はそういうつもりで扱う(接点を持たない、閑職においやる)のがいいんだろうが、なまじっかマジメだったりするとDを含めて周り全体が地獄を見る。

 そして、おそらくAやBにはDという存在が理解できない。それは、自分が優秀で、誰かに指示を出されれば、指示の向こうにあるものも含めてすべて理解できるし(やるかどうかは別として)、自分が指示を出せば相手もだいたいそのとおりに動いてきたからである。

 そういうとき自分の理解できない相手とぶつかるとき、AやBはどう思うか。おそらくこう思う。「こいつは社会人Cだ」と。

 そして、Aは「考えりゃわかるだろ、自分で考えてどんどん動けや」と思うし、Bは「Aの指示が悪い。あれではCにはわからないし、仮にわかってるとしたら(本当は自分と同じBだとしたら)先行して叱られるのが嫌でやらないだろう」と思う。

 しかし、本当のところは? 本当に彼/彼女がCなのか、もしくはDではないのか…誰にもわからない。本人を除いては。

 

 

 もし、AやBが自分以外の社会人の在り方を意識することができたら、何が起こるだろうか。

 たとえばAが、なぜBが(昔はAであったかもしれないBが)、いまはそう考えるようになったのか考えてみたら。

 たとえばBが、いままでのやり方でずっとうまくやれてきたせいでああいう発言をしてしまうAの「しかたなさ」を想像してみたら。

 そして、Dという存在のどうしようもなさを双方が意識してみたら。

 たぶん、AとBとはもっとうまくやれるんじゃないかと思う。つまり、「言わねーでもわかれやボケvs言われもしねーでわかるかバカ」論争が、もうちょっとソフトに現実的なところで解決するような気がする。

 お互いにあるべきかたちに落ち着いてそうなったんだし、双方の主張ではすくいとれない領域の意味不明な存在もいる、という共通項を持ったら、仕事の効率ももっとよくなるんじゃないかな、と思う。こうして世の中はよくなるんじゃないか? 多少は。

 

 ただ、おそらくAとBは和解しないだろう。

 ここからがクズの地平から見える景色なのだが、AとBはSNSで仕事の話をして別に業務を効率化したいわけではない。他人がどうなるか、ましてや世の中が良くなるかどうかなんてどうでもいい。twitterのfavやリツイートの数字を増やして、対立陣営よりも稼いで、間接的に相手を打倒して自分の正しさを証明したいだけである。

 そこに手をとりあう余地はない。

 そして、Cはともかく、Dの存在が彼らに認識されることもないだろう。仕事のできない何者かはずっと、優秀なAから罵倒され、優秀なBから片手間の優しさを投げられたまま、結局「できるはずなのにやらない」という誤解を押し着せられたままだろう。

 Dでありクズである俺は、別にそれに不平もない。しかたがない。ただ、くだらねーな、と思うだけである。それでいいのかというと、わからない。おそらくよくはないだろうが、どうしようもない。以上。