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惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

不時着…「航空機が故障・燃料不足・悪天候などのため運航不能となり、目的地以外の場所に着陸すること」について

思うこと

 今日こちらに来ると言っていた知り合いから電話があったので出てみると、来る途中で乗っていた飛行機が不時着してしまったのだという。

 「え?マジですか。大丈夫すか」

 「うん、大丈夫大丈夫。でさ、見に来る?飛行機」

 「え、不時着したやつですか?」

 「そう」

 「見に行けるんすか?」

 「来れるよ。まあ警察とか海上保安庁とかいるからね、適当によけてきてね」

 「じゃあ行きますわ。…もしもし、いま着きました」

 「ああ、こっちこっち」

 「お疲れす。って、ええ?これですか?」

 「うん、これ」

 「…これって、ははっ。ぶっ壊れちゃってんじゃないすか」

 「うん、まあねえ」

 「不時着ってもっとこう…。不時着って言いますか?これ」

 「言うんじゃない?」

 「そうすかね?どっちかっつーと墜落じゃないすか?」

 「不時着だよ」

 「こだわりますねえ」

 「ところで今日の夜何食べたい?」

 「おお…この流れで飯の話します?普通」

 「なんにも決めてなかったからさ、そっちで考えてくれる?」

 「俺魚食いたいっす」

 

 墜落ではなくて不時着なんだそうだ。

 

 朝のNHKでは「不時着して」「大破」という言い方をしていた。それぞれの言葉が噛み合っていない、という印象はあった。

 「『墜落』とは絶対言わないようにしような!」。番組前に円陣でも組み、スタッフ一同気合いを入れたりしたんだろうか、とか朝飯を食いながら思った。

 怒るか、戦慄するか、「ん?自分の『不時着』って言葉の定義が誤ってるのか?」と辞書を引くか、普通…というか望ましい反応というのはまあそんなところなんだろう。でも、俺に起こったのは、ただ「ははっ」という軽い笑いを洩らすことだけだった。それは、コケにされてんな、という自虐ではなく、面白い冗談言うね、という皮肉でもなかった。どこから来たのかよくわからない笑いだった。

 

 今年の9月に行った沖縄の海は美しくて、そのことを思い出す。

 海水は体が浮きやすいので、たっぷり肺に空気を吸い込んでおくと、仰向けになって水に浮かんだまま、空を見上げることができる。夕方になって空の色が変わり始めるまで、アホのように息を吐いては吸い込み、ずっと海から空を見上げていた。

 美しい、という形容詞で、あの土地を自然に飾っている。けれど、その見方はもしかするとそこに住む人々と俺の間に溝を作っているのだろうか。

 美しい、からなんだというのか。

 美しくなかったら、どうなるというのか。

 どう見るべきで、どうすべきで、どうして欲しいのか知らないから、免罪符のように美しいと表して、無関心さをごまかしている。

 

 ははっ、と笑う。不時着だか墜落だかなんだかしてオスプレイは大破したが、その後事態がどこに向かうのかあまり想像が働かないし正直働かせる気もなくて、近所にある魚が美味い沖縄料理屋に年内にもう一度行きたいなあとかだけ考えている。俺のあの笑い声は、あるいは、「土人」という言葉よりあそこに住む人たちを傷つけるのかもしれない。

 

 同じ国の国民としてともに解決に臨むべきなのか。

 もう放っておいて欲しいのか。

 そもそも何が問題なのか。どこから何が間違っていてどこを目指すと誰が喜ぶのか。

 よくわからないし、正直知る気もないし、暗闇の中に差し出した手が誰かがいつか流した血で血塗れになって返ってきそうで怖いなあ、と思っている。そんな風にへらへらしていてそれでいつかバチが当たったら…それが正義だなあ、とか思っている。以上