はじめに~俺が思う田中相について~
田中相さんは「越境」を描く漫画家さんだと思っている。勝手に。
自分と他人。
人間と動物。
人と神。
自分の知らないどこか、自分とは違う何者かに向かって一歩踏み出すことを描く作家さんだと思う。
新作、『LIMBO THE KING』も越境の物語である。ただし、今作で主人公が超えようとするのはそんじょそこらの境界ではない。死線である。ある意味神様のものになるよりも危険な(前前作『千年万年りんごの子』)、残酷でシンプルな死地に主人公は挑む。
■目次
あらすじ
ときは近未来、2086年。かつて世界は「眠り病」と呼ばれる奇病に襲われ多数の犠牲者を出したが、「ダイバー」と「コンパニオン」というスペシャリストによる治療法が確立され、病はすでに根絶されて8年が経過していた。
海兵 アダム・ガーフィールドは、任務中に事故に巻き込まれ、片足を失った状態で病院で目を覚ます。退役を考える彼だったが、上官によってある提案を聞かされる。それは、彼が眠り病治療の専門家「コンパニオン」としてきわめて高い素質を示したこと、コンパニオンになれば高い給与が得られること、そして、一般に撲滅されたと言われている眠り病の被害者が、再び発生しているということだった。それも、かつては一度罹患すれば再発しないと思われていたはずが、回復後も発病する「新型」となって。
はじめは渋っていたアダムだったが、家族の生活費を稼ぐためにコンパニオンとなることを決意する。相棒となる「ダイバー」は、なんと眠り病を根絶した英雄として『キング』の異名を持つ男 ルネ・ウィンター。過去にいわくありげな変わり者であるルネとともに、アダムは新型眠り病へと戦いを挑む。
『LIMBO THE KING』のみどころ
「…何人死ぬんだ 今回は」「さあ… まだ始まったばかりだ」
前前作『千年万年りんごの子』のときもそうだったけど、事態をぎりぎりと絶望的にしぼる描写が上手い。ただし今回は、神様にとられるという抽象的な話でなく、主人公たちは病による現実的な死と戦うことになる。
この死の描写の強烈さが印象的だった。「ダイバー」や「コンパニオン」は眠り病の患者の精神と同調することで治療を行うのだが、失敗すると自分たちの肉体がクラッシュしてしまう。この描写がすごくて、顔の穴という穴から血を噴き出して歯を食いしばり、文字どおり「ぶっ壊れて」しまうのだが、田中さんこういうのも上手く描けるんだ…という感じだった。
一方、相変わらずの良さがあるなあと思わされたのはセリフ回し。田中さんの漫画は、以前から人と人とが交わす会話という行為への慈しみみたいなものが感じられて、とても良い。
そういう作風と、『LIMBO THE KING』に出てくる軍人や眠り病と戦うサイエンティストたちの描写は、歯車ががっちりかみ合ってる感じがする。生死の最前線で奮闘しつつ、なかばプロの義務として常に余裕を見せるため軽口を叩き事態を的確にまとめることが求められる彼らの存在が、セリフの使い方によって生き生きと伝わってくる。
あとは、作品世界を支える設定も細かいとこで凝ってていいですね。
「君は毎回明晰夢を見るのだろう?」「今じゃサプリで明晰夢なんて見られるし珍しかないでしょ」「ダイブの技術が生まれてから51年 今のところ我々にわかっているのは天然は何にも勝るということ なぜなのかは不明だがニセの明晰夢は4.2%の確率でダイバーをキックアウトできない」
俺はアホなので、その作品でしか通用しないこういう細かい話が出てくると簡単に萌えます。キャーッとなります。ちょろいもんです。
謎と今後について
作中に大小いくつかの伏線が張られていて、そこがどう明かされていくかも楽しみのひとつ。具体的には、
・アダムと眠り病患者であったらしい彼の父との確執
・ルネの妻の身に起こったこと
・そもそも眠り病とはなんなのかということ
・ルネがアダムの上官に言った「自らの作った地獄で助けを乞うて果てろ」という言葉は、眠り病の発生原因がアメリカ軍にあるということか、という疑問
など。すごい細かいところだと、作中で一度だけ出てきた「ゾエ」という名詞も。人名? ルネとは違う凄腕のダイバー? こういうの、中二心くすぐられる…。
行動派の楽天家と頭脳派の変わり者とのバディが挑む謎解き活劇、という現時点の構造だけで十分期待して楽しめてるところだけど、個人的には「人間はなぜ眠る必要があるのか」「夢を見るのはなんのためなのか」というでかいテーマまで描いてもらえると、うれしいなあ、とか思います。
アダムが夢の中で会う謎の女の子がいて、たぶん眠り病と強い関係があるこの女の子が、なぜか患者でないアダムに見えるということが、作品が今後全人類的な話に展開していくことを示唆しているような。そうでもないような。
ともかく、田中相ファンはもちろん、SFサスペンスとしても質が高い作品だと思う。次巻も楽しみです(次は2017年7月だって。遠い!)。