惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

映画版『無限の住人』の感想について

はじめに

 正直、わりと良かったんじゃないでしょうか。
 俺は15年前に原作を読み始めて完結まで追ったファンですが、作品の内容をかなり忠実にふまえ(この忠実さには思うところもありますが、後述します)、出演者の演技も殺陣も素晴らしかったと思う。漫画が好きだった人はもちろん、メガホンをとった三池崇史の別作品である『十三人の刺客』に少数精鋭が大人数に挑んでばっさばっさ斬りまくるところとか似てるので、まああんまり深く考えずに爽快感のあるチャンバラが観てえなあという人にもお勧めします。
 

主な感想

 ここからネタバレありで、くわしい話を。
 事前に『無限の住人』という漫画自体よく知らない方に概要をお話しすると、この作品はある事情で刀で斬られても傷が再生する体質になったおかげでまあそれなりに不死に近くなったまあそれなりに強いような気がする侍が、親を殺された少女の仇討ちの用心棒となって自分より確実に強い相手に挑み、お互い変な武器で刺したり刺されたりするお話です。あえてアホみたいに書いてますが、実際は緩急の巧みな殺陣と作者・沙村広明のキレたセリフ回しが走るめちゃめちゃカッコいい漫画です。そして映画の方も、これらの要素を実写化することに成功していると言っていいと俺は思いました。
 
 映画は、お尋ね者である主人公・万次(木村拓哉)の逃亡劇から始まるんですが、画が最初は白黒で、これがなんかすごく良かった。殺気とある種のいかがわしさみたいなのがスクリーンにこもっているというか、作品の雰囲気と異常に合っていて、ずっと白黒でもよかったぐらい。
 もちろん途中からちゃんと色が入ります。原作は漫画なので当然白黒であって、この演出は原作への敬意と実写化の過程を表現したもの…というのはたぶん深読みが過ぎてるが、なんとなくそんなことを思った。
 
 その後、原作の有名どころのキャラクターがストーリーに合流し、vs.黒衣、凶、閑馬、無骸流登場ぐらいまではおおよそ原作準拠。最後は心形唐流との乱戦を吐との最終戦にミックスしたような感じに展開しますが、ここでも槇絵の扱いとか天津との決着とか、原作の内容をふんでいると思う。
 良い、と感じた一因は、この映画が基本的に変にオリジナリティ出そうとして余計なことしてないからかもしれないですが、そもそもこの映画、チャンバラがいいんです。出てくる剣客が全員達人なので剣筋はすべて鋭いですが、一方で振り回す刃物の重量も実感がともない生々しく、斬り結ぶたびにお互いちゃんと疲弊し、傷つき、血みどろになっていく。
 特にいいなあ、と思わされたものを一つ上げると、実写で見る万次の武器・四道があります。漫画ではまあそういう武器もあるよな、というぐらいの印象ですが、実写化されるとこれが明らかに普通の日本刀とは違う外道の武器感をぎらぎらさせていて、それが血まみれでひるがえる様子は要は斬り殺して生き残りゃいいんだっつってむちゃくちゃやってるのがよく表れていてよかったと思います。
 
 キャストも全員良かった。中でも、やはりというか木村拓哉に触れないわけにはいかなくて、別に俺は木村拓哉好きでも嫌いでもないですが、万次は木村拓哉でよかったと思った。
 一対多でモブの雑魚をガツガツぶった斬って無双する、その強さに説得力がある存在感。強敵との戦いではむしろ劣勢が多くなんなら腕が吹っ飛んでもなお立ち向かう泥臭さ。万次のキャラクターって歴戦の余裕と長生きしすぎた疲れみたいなのが混在するんだけど、それを誰か役者にやらせるとしたら、この人しかいないとまでは言わないが、キムタクでええよ、という感じ。ハマっていた。
 

 あえて批判を挙げるなら次のようなことでしょうか。

 俺はへそが思いっきりひん曲がってついているので、映画化作品において原作の内容を守るのって、まあ本家に対する敬意も当然あるでしょうけど、とかく実写に対してひと言言いたくなる原作派を黙らせるための方便でもあるよな、とか思うわけで、後半の大乱闘を除けばほぼ原作に忠実であったこの映画に正直その「方便」を感じないでもない。特に前に触れた槇絵の扱いは、あれをあえて取り込むのはけっこうクサいな、と思う。

 また最後の大乱闘については、物語の必然性というよりは商品を作るための力技を感じる。
 凛の仇討という本筋に無骸流と吐という第三勢力がからみ、敵方がただの悪役ではなく信念を持った別の正義となって複雑化したストーリーを決着させるのに、原作は30巻の冊数を要したが、じゃあ扱える尺がはるかにタイトな映画版でちゃんと観客を満足させるにはどうしたらいいか、と考えたときに選ばれたのが、迫力の大乱闘と300人の死屍累々なんだろう、と冷静に思う。
 で、じゃあ何か文句があるか、という話で、別にない。面白かったからいいんじゃねえ。そう思う次第です。
 

細かい話

 ここからは、もう少し細かい話を。

 

・ちょっと万次って言ってみて

 さまぁ〜ずの三村があるとき「金玉」という言葉についてふと考えてみて、「これ字義をふまえてあらためて考えてみると実はいい言葉だよなあ。全然下ネタじゃないよなあ」と思った後、ここまでの思考の流れを一切説明しないままそのとき横にいた女性に急に「ちょっと金玉って言ってみて」と声をかけた、というのは単に俺がエピソードとして大好きというだけでこの映画と全然関係ないんですが、「万次」のイントネーションって皆さんは「卍」そのまんま、例えば「漢字」とかと同じだと知っていただろうか。卍さん。俺は「三時」や「甘美」と同じだと思っていたので、映画でこれを知って少し衝撃だった。

 
・【悲報】 火瓦、なぜか年老いる
 火瓦という原作では中の中の上くらいの強さの、印象に残るようなそうでもないような30代〜40代ぐらいのキャラがいるんですが、その火瓦の格好でなんか初老の役者さんが出てきて「?」となり、とりあえずこれがこの映画における火瓦ということは理解したんですが、なぜ原作と同じ年代の人ではいけなかったのか、その意味するところは不明。
 まあ、俺は火瓦が観てえんだ!火瓦を観に劇場に足を運んだんだ!という人はおそらく俺も含めてこの世にいなくて、誰もが「あ、火瓦出てんじゃん」と映画館ではじめて気がつく感じだと思いますが、「あ、火瓦出てんじゃん。…火瓦?火瓦…だよなあ」という困惑はそのとき生まれたまんま今も行き場を失ってこの胸にあるので一報入れておきます。
 
田中泯を取り合う
 田中泯が出ているのを知って俺は最初阿葉山宗介役だろうと思ってたんですが、吐でした。阿葉山には石橋蓮司が就任。作中に強ジジイが複数いると役が田中泯を取り合うことになるんだなあ、とか思った。
 田中泯の吐も、石橋蓮司の阿葉山もどちらもよかったですよ。欲を言えば、例のツキヨタケの場面で一応からむことになるので、そこでもっとがっつりチャンバラしてほしかったかな。
 
・万次の背中のヤーツ
 たぶんダメだったんでしょう。
 
・あらためて思うこと

 俺がこの映画を良いと思う理由の一つは、『無限の住人』のキャラクターは傷つき何かを失ってある意味ちょっとイッちゃってから良さを発揮するやつばっかりだな、というのに気づかされたからである。

 例えば、福士蒼汰の天津は、率直に言って最初は天津のコスプレをした福士蒼汰でしかなかったが、戦闘のさなか段々血みどろになって手にした得物の重たさが観客にも伝わるようになってきて、本当にそこに天津を感じるようになった。よく考えれば天津も敵方の大ボスにもかかわらずよくボロボロになるキャラだった。

 髪を断ち落とす戸田恵梨香の槇絵も、途中で白髪になり隻腕になる市原隼人の尸良も、見慣れた姿になって「やっぱこっちの方がしっくりくるよな」と思った。そして同時に、「そうか、無限のキャラってそんなんばっかか」と思った。

 こういう生き残るためのいたし方なさみたいなのが彼らの魅力か、というのは、映画をとおして気づかされたことである。そんな発見も含めて、まあ実写化の常ですから批判も当然あろうが、一人の原作ファンにはちゃんと楽しめたぜ、という報告であり感想でした。吐がオニギリを食ってても気にならない人は(観てないとなんのこっちゃわからないけど)、行かれたらよろしいかと思います。(おしまい)