外道とあなたは言うけれど。『外道クライマー』の感想について

はじめに

 ロックでもアートでもなんでもいいが、「反体制的」な成り立ち、あるいは要素を持つものにはものすごく重大な弱点がある。

 それはこれらが、自分たちが反発している体制なくしては存在することさえできないということだ。

 反体制芸術は、体制が間違っていると糾弾することではじめて意味が認められる。

 そういう意味で、これらがどれだけカッコよく、どれだけ意義があろうとも、反体制芸術とは自分たちを抑圧し、縛りつけるものによってはじめて価値を持つような仕組みに、絶対的に逃れようもなくできあがっている。それは、いつか体制が正しく修正されたときには必然的に解体される運命にあるということでもある。

 もちろん、間違ったかたちでまかり通ってしまっている常識や強い圧力に対して死に物狂いで発信されるメッセージでしか表せないもの、変えられないものがあることは知っている。その価値自体を否定することはできない。

 あるいは、社会を変えて役目を終えたら消えてなくなる、それならそれでいいんだ、という達観をもってやっている人たちもいるだろう。

 でも俺は、上で挙げた反体制的なものが根本的に抱えている弱点を、これらを称揚する人たちは忘れてはいけないんじゃないかな、と思う。

 というかね、ちょっと言い方を変えるよ。

 「圧力に屈しない」「時代の流れに異議を唱える」…もちろん大事なことだけど、なんかしゃらくせえな、と思うんだよな。

 それこそ、「みんなと仲良くしましょう」「悪いことをするのはやめましょう」、そういう反体制とは真逆のメッセージと同じように、真逆のはずなのにまったく同じように、なんかすげえしゃらくせえんだよな。同じように空疎なんだよ。

 批判する、暴き出すカッコよさじゃなくて、何よりも楽しいから、美しいからそうするんだ、って、芸術はまず何よりも最初にそういう点で評価されたっていいはずだろう?

 

モラリストの俺が『外道クライマー』に共感するということ

 モラリストというのか小心者というのか、基本的に俺は世の中のルールを守る。

 昨今話題の駅のエスカレーターは歩いて降りないようにしている。深夜の横断歩道で車がくる気配が全くなくても赤信号で待ったりする。

 そういう人間なので、ルールを守らない人間のことは白い目で見ることが多く、電車内の携帯通話、路上喫煙禁止の地区での歩きタバコ…、ルールなんてどうでもいいと思っているのか、ルールを破っていることをあえて声高に主張したいのか、なんにせよウットウシイな、と思いながら横目で見ている。

 

 で、『外道クライマー』である。

 筆者の宮城公博さんは法律違反上等の人である。

 例えば、景勝地として名高い法律的に侵入NGの滝。「登りたいから」つってどんどん登っちゃう。

 外国の未開地に現地の許可とかとらないでぐんぐん入っちゃう。

 本来俺の判断基準でいえば顔をしかめて無視したくなっておかしくない人であって、その法規違反の行動録なんて…となるはずが、これが面白かった。すごくよかった。

 本の題材への興味と、それを描き出す文章力に打たれたというのはある。

 渓谷、沢の中の淀みと流れ、藪を漕いでいくという、一般的には冬山の登山より格が劣るとされ、あまり認知もされていない3Kそのものの世界。葉っぱで切られて流血し虫に刺され雨にやられながら焚き火をたく様子の臨場感(文章、本当に上手いのだ)。

 素晴らしかった。ただ、そういう要素だけで俺の「常識人フィルター」をくぐり抜けて、この本いいな、とはならないと思うのだ。

 俺は、宮城公博さんが結局、やりたいからやってる感がストレートだと思ったから、美しいものをとにかく見たいと思っていたから、その探検を楽しんで追うことができたんだと思う。

 「体制? 正義? クソ喰らえだな」という思想を文中から感じることはある。本のタイトルにも外道とついてるし。

 ただ、違反しているからこそ燃えました、という感じかというと、そうでもないんだよな。

 ルール違反は、「後から来る」。それより何より、未知の領域に苦しいほど恋い焦がれる感情、水路の奥の怪物じみた滝や高さ1000mを超える断崖の狭間を流れる深い沢に寄せる真っ直ぐな気持ちがわかったから、読んでいてまったく不快感はなかった。

 違反があっても、この冒険は素晴らしいと思う。ルールを犯したことに対するペナルティはあって当然…というか、むしろ常識の側からの罰が適用されないといけないが、でも俺はこの物語が読めてよかったなあと感じる。

 

おわりに

 あなたのやってることの反体制性は認めない。でも、美しいものが見たくてそこに行きたい、というその動機には心を打たれた…。

 そういう評価は、社会のルールに違反してるからクソ、と単に切って捨てるより、宮城公博さんには気に入らないのかもしれないな、と思う。

 でも俺は、良識に反した行動をその側面から過剰に評価することも、同じくらいこの人の冒険を損なうものだと思うんだよ。仮にこの人自身がそう見られることを望んでいてさえ。

 そういう意味でこの本の解説は正直クソだと思う。冒険を良識の観点から良しとすることがつまらないのと同じくらい、反社会性という面からほめるのもくだらない見方だと感じる。

 それは一番最初に書いたようなことが理由であって、俺は、「ルールなんてクソ喰らえ」と「ルールを守ろう」とは反対だけど同じくらいクソで、退屈で、ある意味結局同じものだと思っているから。

 反社会的だろうとそうでなかろうと、『外道クライマー』は面白く、そこにルールという存在が絡もうがそうでなかろうが、この人が冒険の果てに見たこの人だけのものはきっと美しかっただろう。

 良い本です。そしてルールを守る・破るという行為についても整理するきっかけになったので、ここにまとめておく。以上、よろしくお願いいたします。

 

外道クライマー

外道クライマー