明滅する蛍光灯の鋭いほどの闇。怪談作家・我妻俊樹を読もうぜ、ということについて

 怪談やオカルトの類が好きだ。しかし、性格的に難儀なところがあって、怪現象でもUMAでもできるだけ科学的検証に耐えうるものであって欲しいという願望から、かえって批判的な態度で接してしまうことがある。
 例えば、「実話」というテイで書かれた話を読んだとする。
 それで、話の中でお化けや呪いが大暴れ、物理的な現象を起こしたり人が何人も死んでいたりするともうダメだ。

 「え…それだけ大事になっててあんまりニュースになってないのっておかしくね?」とか、「現場に何か痕跡が残ってるなら何で写真のひとつも撮って来ないん?」と思ってしまう。
 この話、ツジツマが合わないところがあるぞ、とか。
 この話、単なる偶然や勘違いを都合よく解釈してるぞ、とか。
 こんな具合で、本来はおかしなもの、おかしなことが好きなはずが、まるで、おかしなものやことが嫌いな人のように接してしまう。困ったことだが、けっこうそういう人いるんじゃないか、と思う。フィクションだけど、『巷説百物語』シリーズの山岡百介もこういう難儀な人物として描かれている。


 さて、どんな話であれば、こうした面倒くさいフィルターさえ貫通してゾッとさせることができるだろうか?
 まずは語り口や文章が巧みなもの。現実的な目線から強く叩かれても揺らがないぐらい設定(実話怪談では禁句かもしれないけど)がしっかりしているのも大事なポイントだ。そしてもう一つ、ジャンルとして好き…というか、弱いものがある。
 それは、話の中で何が起きているんだか最後までわからないが、なぜか怖ろしいと感じさせる、曲芸のようなことをやっている作品。
 これである。


 我ながら無責任な言い方で、何も説明したことになってない。なので、もう少しくわしく書いてみる。
 俺は内田百閒という大正・昭和時代の作家が好きで、世間では百閒は「文学」というハコに堂々とおさまっている文豪という扱いだと思うんだけど、この人が正体のよくわからない気味の悪い話をたくさん書いている。
 うっかり道で財布を拾ったばかりに必死で逃げ回ることになり、道中でなぜか何度も財布の中身を確認してみる話とか。
 山を歩いていたらなぜか訪ねるつもりのない寺の境内にたどり着き、人混みをかき分けて走っていたらあたりの人間がいつのまにか無数のトウモロコシに変わっていた話とか。
 知らない男と一緒になって坂道を歩いていたら坂の下の方に自分たちとそっくりの二人組がいて、いきなり身動きがとれなくなったと思ったら下にいた二人の片方が後ろを向いてこちらに駆けてくる話とか。
 何が起きているのか、なんでそうなるのか、読んでいる最中はもちろん、読み終わってもほとんどわからない。それでいて、ほんのかすかに、どこか心当たりがあるような気もする。
 薄暗い闇が作品の中を漂っていて、いつか何かがつかめそうでいて、おそらく永遠に判明しない。
 このわからなさが怖い。正確に言うなら、一瞬だけわかりそうで、絶対にわからないこの闇が怖い。
 前置きが長くなったけど、だから読もうぜ、ということなのだ。
 我妻俊樹である。


 百閒の小説における闇が行灯とか蝋燭のちらちらした暗さだとしたら、我妻俊樹の怪談は蛍光灯をせわしなく点滅させるような、バキバキに鋭い闇だと思う。しかし、話の中で何が起きているのかほとんどわからない怖さを扱っている点では、どちらもよく似ている。

 我妻俊樹の怪談で出てくるフォーマットは次のようなものだ。
 まず、おかしなことその①が起きる。続いてその②が起きる。
 ①と②それぞれはささいな違和感であったり、怪奇現象であってもそれほど劇的なものでないことが多い。
 肝心なことは①と②の間に何かしらの関係性が感じられるところだ。それでいて、この隙間にわだかまっている、電灯が一瞬だけバツン、と完全に落ちたときの手の切れそうな闇の中から、答えが現れることは絶対にないこともなんとなくわかっている。
 この加減が絶妙なのだ。上の方で曲芸という言葉を使ったけど、まさに芸術だ。
 妙な出来事が単に二度続いた、だけでは済まないところ、気のせいとは片づけられない限界のところ。
 ただの意味不明ではなく、何か重大なことなのに理解不能というか、そこにおそらく何かがあるのに、こちらの認識では決定的に届かない。このギリギリの線は我妻俊樹にしか書けない。


 少しつっこんだことを書くと、俺は、我妻俊樹の怪談が本当に怖いのは、我妻俊樹の書く怪奇が、俺たち人間にあまり興味がないからだと思う。
 他の怪談作家が書くお化けは、悪意にせよ害意にせよ、もう少し人間に関心がある。積極的にどうにかしてやろうと思っている。
 しかし、我妻俊樹の書く闇は人間にそれほど関心がない。気まぐれで、無機的で、もしもここに描かれているものこそ世界の本当の姿だとしたら、それに対して勝手に混乱し、きりきり舞いしている人間は、なんというか、なんて滑稽で無意味な存在なんだろう。
 俺はそのことがものすごく怖い。凶器を持った殺人鬼に追い回されるよりも。多くの犠牲者を生む凶暴な呪いよりも。
 怪談好きが誰しもはまる作風ではないと思うけど、唯一無二だ。ものすごく怖いと思うので、以上、よろしくお願いいたします。

 

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

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