10月1日。死ぬときに思うことについて

 箱根のポーラ美術館の前には、林道がゆるい蛇行を描いている。
 箱根を訪れて、バスに乗ってその道を揺られていた。天気がいい日で、道の左右には木々がたっぷりと生い茂っていて、射してくる日の光まで心持ち緑色ににじみながら、舗道を照らしている感じだった。
 
 気持ちがいいと思いながらぼんやりしていた。実は何年か前、ロードバイクで通ったことがある道でもあって、そのときは特になんの感慨もなかったんだけど。
 
 ゆるゆるとうねる道を眺めているうちに、ふと、あのとき自転車で走っておいてよかったな、と思った。
 不思議な感じだった。「思い出してみればあのときも楽しかった」ではなく、あくまで「ああいう経験をしておいてよかった」という感じ。過去を美化するのではなく、記憶があることそのものを肯定するというか…。
 俺は、同じようなことを、少し違う方法で繰り返してみることで、そんな気持ちになったのだ。
 
 生きているとそれなりにしんどい。
 俺はずいぶん甘やかされて生きているから、笑わせるな、という御仁も多かろうが、けっこうしんどい。いまは全然楽しくない。
 
 いつか俺が死ぬときに、それでも、まあ生きていてよかったな、と思うだろうか?
 自分が生きてきた記憶があること、思い出せるものがいくらか残っていること、そんなことだけを根拠に、この世を去るときの俺は、俺のことを肯定するだろうか?
 昔自転車で走った道をただバスに乗ってなぞっただけで、いくらかいい気持ちになったのと同じように。
 
 以上、よろしくお願いいたします。