惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

お題:「#わたしの推し米」について

お題:「#わたしの推し米」について

 シロメシがうまい食事どころというのがある。

 考えてみるとなんだか不思議な気がするが、それは定食屋だったり中華料理屋だったり飲み屋だったりして、どういう店ならシロメシがうまいとか、一概に言えなかったりする。
 何気なくシロメシを口に運んだとき、「そういう店」だと判明するのである。「うわっ、米がうめえ」となって少し驚く。
 
 シロメシがうまくて驚くというのも考えてみればおかしな話で、大変失礼な話だが、「米というのはだいたいこのようなもの」というイメージというか、おおよその水準みたいなものを、自分勝手に作っている感がある。
 自分で勝手にこしらえたシロメシの水準をその店のシロメシに超えられて、勝手に驚いているという。バカな話である。
 
 例えば、最寄り駅から歩いて5分ぐらいのところにあった、とある中華料理屋のシロメシがそうだった。
 いわゆるキレイに炊けた米ではなく、やや水気の多すぎる感じのシロメシだった。
 これを、特にたいした期待もなく塩ラーメンや麻婆豆腐などの箸休めとして口に運ぶと(文字でいちいち書き起こすと、なぜこうも失礼な感じが際だつのか?)、そのうまさに驚かされた。
 噛んで含めるたびに、白米の甘さと滋味みたいなものが食感とともに広がるような、そういうシロメシだった。俺もアホなので、その店に行ってシロメシを食うたびに「うわっ、うまっ!」と驚いていた。
 
 おかしな話と言えば、行った店のシロメシのうまさに驚いた後、にもかかわらず、店の人に「シロメシうまいっすね」と言う気があんまりしないというのがある。
 なんというか、主菜ではなくシロメシをほめられて、店の人ははたしてうれしいのだろうか…という。
 
 店の人になんと言えば喜ぶかとか、そういうことで悩んでいる時点で馬鹿馬鹿しいが、シロメシをほめられても店の人も困るんじゃないか…、という考えはぬぐい去れない。
 例えば人と話をしていて、どこどこの店が美味しかったという話題になり、「なにが美味かったの?」と聞いて「シロメシですね」と答えられたら、「こいつはいったいなんの話をしているんだ?」となるんじゃないだろうか。俺はなる。
 
 ひとつ言い訳をさせてもらうと、シロメシのうまさについて俺がこんなに曲がりくねって考えているのは、シロメシがうまい店がある一方で、そうでもない店もある…というか、たいていの店のシロメシが「普通」だからである。
 
 しかし、各店のシロメシのレベルの平均が上がるのならばこれは喜ばしいことだろう。
 そのためには、「色々食べた結果、『シロメシが一番うまかったです』なんてのはバカみたいじゃないか…」などと悩んでいてはいけない。
 むしろどんどん各店のシロメシについて意見発信していき、シロメシの重要性を業界に再確認させるべき…と思ったが、おそらく、こんなことは完全な世迷いごとであり、長々と書いた割にわけの分からない話になって、読んでくださった方(いるのだろうか)には詫びるしかない。また、詫びると言えば、まるでこの記事の広告元(パナソニック)の販促に利することのない内容となり、その点についても重ねてお詫びしたいと思う。
 
 以上、よろしくお願い申し上げます。

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