惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

11月3日について

 今朝、近所の店で買ったパンとコーヒーを近所の公園で食べていたら、少し離れているところで、ようやく歩き始めたという感じの小さい子供が泣いていた。
 子供は、ときどき何か言いながら両手をぶんぶんと振る。その視線の先には、お母さんらしい女性が公園の椅子に座っていて、じっとして動かずに、その様子を見ていた。
 お母さんは椅子に腰掛けて、足を組みながら、すっと背を伸ばしている。そして、おそらくはこっちに来て欲しい、と駄々をこねている子供の要求に応えないで、子供の方があきらめて自分の方に来るのを待っている。
 その姿は、怒っているようにも、耐えているようにも見えない。ただ穏やかで、あえて言えば少しだけ困りながら、微笑んでいるように感じられる。
 その様子は、教育とか、しつけとか、あるいは厳しさ、優しさという言葉にも、うまく表すことができなかった。
 ぼんやりと、親子にいくらか時間に余裕があるのはわかる。そういう時間の中で、この微妙な綱引きを、母親と子供が互いの間の距離を、一方は声を張り、一方は無言で、相手の方がこちらに来て欲しい、と向き合っているのを、俺は眺めている。
 子供があきらめてお母さんの方に、二つの手を前に突っ張りながら歩き始めた。母親は椅子から立ち上がり、両手を広げる。
 しかし子供の方は、母親に飛び込むほんの少し手前でぴたりと歩くのをやめ、そこでまた両手をぶんぶんと振った。
 駆け引きしよるな、と思って、俺はなぜか少し嬉しい。
 最後はお母さんの方が、しょうがねえな、という感じで、自分から歩み寄った。そうして二人で、手を引いて、引かれながら、どこかに向かって歩いていった。