げらげら笑いながら読んだので感想を書こう、と思ったら困った。
なぜかというと、言うべきことがあまりないからである。
世の中にはドラマチックな物語、意義に富む物語、というものがたくさんあり、そういうものの感想を書くのはこれは簡単なわけである。
だって起きてることがすごいんだから、それをそのまま書けば読む側も、ほう、そりゃすげえな、と素直に思ってくれるし。
まあ中にはそのすごさがわかりにくい、もしかしてこの作品の事件性にきづいたのは俺だけなんじゃねえか? なんて(見当違いの)使命感を抱かせるような一見地味な作品もあるが、それはそれで、そのすごさを丹念に言語化していく作業で必然的に言うべきことが決まるので、書くのは楽なんである。
ところが、この『ひみつのしつもん』の感想はかなり難しい。
ただひたすらバカバカしいだけだからだ。
前作、前々作とこの人のエッセイはひたすらバカバカしいだけだったが、今回もひたすらバカバカしかった。
言ってみれば、岸本佐知子という翻訳家の奇行や愚行の記録と言えそうだが、何も起きていないという表現の方が近いだろう。
なんというか、「出来事として文章に書き起こしされるべき基準値」みたいなものがあるとする。10点を超えたら文にしていいとしよう。
『ひみつのしつもん』に載っている岸本佐知子の行動録は、いいところ1〜2点、中には1点未満のものもある。家でなんに付属しているのかわからないネジを拾ったとか、風呂場で足の裏をこすると思った以上に垢が出るとか、そんなものは本来文章にしなくてよい。
エッセイなんだからそりゃそんなもんだろう、と言ったどこかのあなた、あなたの想像を軽く下回るかたちでどうでもよくバカバカしいのだ。
すごいのは、それが面白いということである。困るのは、その面白さの説明がつけられないということである。
よくまあそんなこと思いつくな、とか、よくこの人これで生活できてるな、とか、感想らしきものを言って言えないこともないが、エッセイの面白さを伝えたいなら、そんなことを言うよりも作中の一編を丸挙げしまった方が早く、しかしそれでは、俺の、「なんかめちゃめちゃくだらない割にすごいものを読んだぞ」という衝撃のやりどころはどこ? という感じで途方に暮れる。
まあ、近いところで言うと町田康とかに近いんじゃねーかな。『テースト・オブ・苦虫』みてえな。
とかって投げやりになっちゃう。でももっと何言ってんだこいつ?感があるというか、やっぱりもうみんな読んでください、ってことで。
以上、よろしくお願いいたします。あ、あと、岸本さんが翻訳した『拳闘士の休息』は全舞城王太郎ファン必読だから、必ず読もうな。じゃ。