惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

4月11日について

 ものすごく久しぶりに会う友人のところを訪ねていった。

 友人は飲食を経営しているのだが、昨今の騒動で人が来なくなって大変だという。

 俺にできる支援として(と言うのもちょっと変か?こっちも商品をいただいてるわけだし)、テイクアウトを買い求めに行き、そのついでに顔見せをしたかたちだ。

 

 友人の店を訪ねるのははじめてだった。それほど広い店ではないけど、清潔で落ち着いていて、「ああ、いいお店だな」と思った。

 細長い店内、入口近くにいくつかテーブル席が設けられていて、奥がカウンター。訪ねていったら、カウンターの対面となる厨房内で、友人が調理の最中だった。

 思ったよりも、店は繁盛していた。少し安心する。

 このとき、友人の結婚相手にもはじめてお会いした。夫婦でお店を切り盛りしているようだ。

 帰り際、店の外まで見送りに来てくれた友人と軽い世間話をしていると、店内からちょらちょらっと小さい人が出てきて、ひし、と友人のエプロンの辺りをつかむ。

 実はカウンターの奥でお昼ご飯を食べていた子で、「もしかしたら」とは思っていたが、やっぱり友人の娘さんらしい。お店の中で「挨拶しておいで」とか言われたのかもしれない。

 娘さんにも挨拶する。「またな」と友人に言って別れた。

 

 いい家庭、いい店を友人は築いていた。

 もちろん、血の滲むような努力があったのだと思うが、よかったな、と俺は思う。そう思える余裕がまだ自分にあることが少し嬉しい。

 それと同時に、新型コロナウィルスをめぐる昨今の騒動について、こんなことを思った。

 

 飲食店の営業をめぐる議論はなんだかすごく「遠回し」になっている。

 現時点では、『営業するな!』と強制的に命令されているわけではない。

 ただ、飲食というのはそれを利用する客があってはじめて成立するわけで、その客は「外出自粛」を求められているので、じゃあそれに応対する店の方は、『自分たちは店を開いていていいのか?(自宅に留まっているべき人たちが屋外に滞在する片棒を担いでいいのか?)』という道義上の問題が生まれる。

 

 ただ、友人が仕事をしているところを直接目の当たりにして、これはちょっと、店を閉めるって判断はそうそうできねえな、と思った。

 少なくとも、「世間のために」うちも自粛の流れに協力しますよ、ってのはありえねえな、と感じる。

 いや、実際、店を訪ねるまでに他の飲食店の多くが長期の休業に入っているのを目にしてもいるのだが、あくまで「経営上の」判断だろう。

 自分が店を開けないと家族を守れない、となったら、仮に後ろ指さされようが営業するだろうな、と思った。

 

 この流れで実感したことがもう一つある。

 新型コロナウィルス対策でBCG注射が有効とか、福島の原発事故のときはうがい薬を飲むといいとか、真偽のよくわからない噂が広まって、まあ俺も冷笑している(していた)。

 ただ、友人とその伴侶が夫婦で働いてその周りをちっこいのが動いている、みたいな現場を直接見て、笑えなくなった。

 

 あの家族で誰かが倒れる、不調になったら生活自体がぶっ壊れるだろう。

 店長である友人はもちろんだが、その伴侶がダウンしても店は回らなくなるだろうし、子供が不調になってもその看護を誰がやるのだ、ということになる。

 個人事業(あるいは中小・零細企業も)というのはそういうギリギリの線の上を走っている。

 例えば平時を100とするなら、100未満になった瞬間に営業が回らなくなる、エマージェンシーが点灯する。

 当然一番大きなダメージをもたらすのは店長に何かあることだが、その連れ合いも、子供も、その不調が『1』以上のダメージをもたらすなら同じこと、ある意味全員が等価となる。

 

 そうしたらBCGだろうがうがい薬だろうが、頼れるものは正直なんでも頼るな、と思う。これを非科学的と言って笑う俺は、想像力が欠如していると感じた。

 以上、よろしくお願いいたします