はじめに
評価は次のように行います。
まず、総評。S~Dまでの5段階です。
S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース。
A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。
B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。
C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。
D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。
続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。
☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。
◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。
◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。
最後に、あらためて本全体を総評します。
こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。
実話怪談という「本」について - 惨状と説教
総評
S。
我妻俊樹作。2016年刊行。
我妻俊樹祭り、第四弾の『奇々耳草紙 死怨』である。
俺は、現時点でこの本が我妻俊樹の最高傑作だと思う。本当に、本当によくできている。
我妻俊樹の怪談の本質は、読み手自身のうす暗い記憶や感情をひそかにつかまえてしまうことで、メチャクチャな怪異を飲み込ませてしまうことにある。
それが、前回紹介した『憑き人』ではあまり通用しなかったので参ってしまったわけだが、『死怨』の場合は割とわかりやすいと感じた。詳しくは、「あらためて、総評」で。
この本はkindle unlimitedで読めます。
各作品評
もう、捨てるところがない。いずれも良く、すべてが『行旅』『蛇長蛇男』へとつながっていく。
巳の字…◯
緑竹輪…◯
カロリー…◯
かんのん館…☆。後述。
スロット…◯
ミミちゃん…◯
小さい客…◯
亀のシール…◯
山の城…◯
渡るな!…◯
らくだ屋…◯
蚊…◯
遺影の人…◯
街の祠…◎
行旅…☆。後述。
上司の遺言…◯
同意…◯
知らない女…◯
夜を明かす…◯
目黒駅…◯
幽霊はいません…◎。「いませんから本当に。疑ってますか? それじゃあ今から確かめにいきますか? ええそうしましょうね。幽霊がいないってことを確認しましょうね。それがいい」。声に出して読みたい日本語。
蛇長蛇男…☆。後述。
あらためて、総評
上でも書いたが、素晴らしい、のひと言に尽きる。最高傑作だと思うし、怪談=恐怖、という
固定観念と慣習を完全に超えている。
『死怨』で描かれているのは、第一に、境界をまたいでしまうことへの恐怖だと思う。正常と異常とを区切る仕切りが、まず鮮烈に浮かび上がっている。
けれども、この本の本当にすごいところは、その後にやってくる。本の後半には、境界をまたげないことへの悲しみと、またいでしまったあとの安らぎが続いて描かれるのだ。
怪談というのは、突き詰めれば、「この世(人間の世界)とあの世(オバケの世界)がせめぎ合う」話である。話のパターンには色々あるわけだが、どの作品でも、結局はそれがテーマになる。
二つの世界が接している以上、境界というものがそこに発生するわけだが、基本的に多くの怪談は、あの世が境界をまたいで侵入してくることによって成立する。
理由は単純で、それは、人間の側がオバケの側に境界をまたいだりしたら、普通は死んでしまったり気が触れてしまったりするからである。体験者が死んだり狂ったりすれば、語り手になるものがいなくなってしまう。
しかし、繰り返すが、怪談とは「この世とあの世がせめぎ合う」話である。
つまり、上手くできるなら、別に存在したって構わないのだ。こちらからあちらに行ってしまった話、あるいは、行こうとして行けなかった話が。
そして、我妻俊樹はそれに成功した。
『かんのん館』について。家族が「あっちに行ってしまった」話。『憑き人』の『3周年』といい、我妻俊樹はたまに、こういう性的にどぎつい怪談を書く。
『街の祠』と『行旅』は、あっちに行こうと思って行けなかった話。
オバケの世界に行かずに済んだなら安心するべきなのだが、話の中には、向こうに行けなかったことへの奇妙な寂しさが漂う。『死怨』の体験者には、どことなくこの世に所在のなさを抱いている人たちが多く、それがまるで、「また、なんとなくこの世に残ってしまった」という感覚につながるのかもしれない。
そして、『蛇長蛇男』である。ある意味奇跡のような、語り手自身があっちに行ってしまった話。
もちろん死んでしまったわけではないし、狂ったと断言もできないが、体験者は完全に向こうにわたってしまった。我妻俊樹はすさまじい話を持ってきたものだ。
冒頭から体験者が抱える生きにくさが
通奏低音のように流れていて、そこに不穏なものが徐々に積み上げられて、世界がどんどん歪んでいく。
最後まで読み通すことで、読者としてはもう救いようのないところまで事態が達してしまった絶望感があるが、体験者の方は果たしてどうだったろう?
もしかして、最後の最後にマイナスはプラスに反転したのだろうか? であると、この話は実は救済を描いているのだろうか?
恐ろしく、不安そのものであるのはまさに怪談だが、一方で、その範疇をあきらかに超えている。オールタイムベストというか、実話怪談にはこういうことが可能、という正真の傑作といえる。
第37回はこれでおわり。次回は、『奇々耳草紙 祟り場』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。