『手繰り怪談 零レ糸』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 ◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 B

 緒方あきら作。2020年刊行。

    

 オーソドックスな怪談集、という感じ。風俗業や反社会に属していた人など、アンダーグラウンドな人物に取材した怪談が多いのが特徴か。他にもいろいろな職業の人が出てくるので、業界の読み物としても割と面白い。

  

 この本はkindle unlimitedで読めます。 

 

各作品評

 怨霊…◯
 接ぎ木の呪い…◯
 黒いバイク…◯
 

あらためて、総評

 文章はしっかりしており、やたら不幸を振り回して読む側を脅しつけるようなところもない。総評でも書いたとおり、色々な職業の人に取材している様子が見て取れ、実直な怪談、という感じがする。
 一方で、すごく独特な雰囲気があったり、あとを引くような奇想があるわけではないので、飛び抜けて評価することも難しかった。
 竹書房がときどき発売してしまう、「自分、なんでそんな嘘つくん?」という類の実話怪談もどきよりはよっぽど良い。でも、正直な感想として、もう少しクセが欲しかった。例えば、恐怖の方向に振らないなら、職業世界の方向をもっと掘り下げてみるとか(水商売や庭師の話は面白かった)。
  
 第41回はこれでおわり。次回は、『怪談標本箱 毒ノ華』を紹介します(事前に言うと、俺はあまり合いませんでした)。以上、よろしくお願いいたします。

 

手繰り怪談 零レ糸 (竹書房怪談文庫)

手繰り怪談 零レ糸 (竹書房怪談文庫)

 

 

『怪談四十九夜 断末魔』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 ◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 A

 黒木あるじ/黒 史郎/我妻俊樹/小原猛/小田イ輔/川奈まり子/神 薫/つくね乱蔵/冨士玉女/鷲羽大介作。2020年刊行。

  

 黒木あるじによって編まれた、複数名の作家の作品からなるシリーズ最新作。
 各々の持ち込む数は少ないものの、作家性らしき印象をつかめることもあるので、この本を機会にお気に入りが見つかるかもしれない。今回も平均的に質の高い怪談が並んでいる。

 

 

 この本はkindle unlimitedで読めます。 

 

各作品評

 リフォーム…◯(つくね乱蔵)。後述。
 賭け…◯(我妻俊樹)
 どろんこ…◯(神薫)
 いくつ子…◯(神薫)
 消えた僕…◯(鷲羽大介)。今回の思わぬ発見かも。後述。
 サコシン…◯(川奈まり子
 はらのなか…◯(小原猛)
 トービーラー…◯(小原猛)
 

あらためて、総評

 この本は、AかBかの評価で悩んだ。
 Aは世間一般を意識した評価。Bは、俺個人にとっての評価。最終的には前者を選んでいる。
 個人的にBというのは、好きな作家(黒木あるじ、黒 史郎、小田イ輔)があまり持ち味を示していないように感じたからだ。みんな単著では2020年もバチバチ飛ばしている人たちで、それと比較すると、この本に持ち寄られた怪談は個性がないというか、当たり障りのないものが多かった気がする。
 結局、偏愛的に追いかけているか否かで期待値というか、ハードルがイビツに上がったり下がったりするのだろう。彼らを除いた他の作家については、どれも良い怪談を持ってきていると感じた。
 
 『リフォーム』について。俺はつくね乱蔵の怪談と相性が悪くて、よく登場人物が不幸に落とされて読者が嫌な気分になっているときに、行間越しに書き手のしたり顔がのぞくように思えるところが好かないのだが、これは良かった。「足首が音も立てずに…」、意味がわからん過ぎて良い。
 
 『消えた僕』について。この本の掘り出しものかもしれない、と感じた。この怪談単品というより、鷲羽大介というはじめて知った作家そのものなのだが、怪談を書いていながら「なんだこんなもん」と苛立ち半分で突き放している感じがして、面白いな、と思った。
 そんな作家いるかな? 俺の気のせいかもしれないが、今後が気になる。フォローしていきたい。
  
 第40回はこれでおわり。次回は、『手繰り怪談 零レ糸』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

怪談四十九夜 断末魔 (竹書房怪談文庫)

怪談四十九夜 断末魔 (竹書房怪談文庫)

  • 発売日: 2020/11/27
  • メディア: Kindle
 

 

『第五脳釘怪談』について

はじめに

 評価は次のように行います。

 まず、総評。S~Dまでの5段階です。

 S…価格、提供される媒体に関係なく手に取るべき。恐怖のマスターピース

 A…購入推奨。もしくはkindle unlimitedにあればぜひ勧める。恐い。

 B…購入してもよい。もしくはkindle unlimitedにあれば勧める。

 C…図書館で借りる、もしくはkindle unlimitedなら読んでもよい。

 D…読むだけ時間のムダ。ゴミ。(少なくとも俺には)。

 

 続けて、本の中で印象に残った作品を評価します。

 ☆…それ一品で本全体の価格を担保できてしまうような作品のレベル。

 ◎…一冊の中に三品以上あると、その本を買ってよかったと思えるレベル。

 ◯…一冊に七〜八品あるとその本を買ってよかったと思える作品。

 

 最後に、あらためて本全体を総評します。

 

 こういう書き方をするのは、初見の人に本を勧めつつ、できるだけ先入観を持たない状態で触れてほしいからで、評価が下に進むほど、ネタバレしてしまう部分も増える、というわけです。よければ、こちらもどうぞ。

 

 実話怪談という「本」について - 惨状と説教

 

総評

 A

 朱雀門出作。2020年刊行。

 

 俺の大好きな怪談作家、朱雀門出。その実話怪談シリーズである『脳釘怪談』が第五弾にして竹書房復帰である。
 出版社から刊行されていたシリーズの続編を電子書籍にて自主出版(『第三・四脳釘怪談』)という形態も珍しかったが、それを経て出版社からの販路に戻るというのは、かなり稀有なパターンではないだろうか。
 
 そういう異例の売られ方に対応するように…というわけじゃないが、作風の方も特異なのが『脳釘怪談』である。
 その特徴はひと言で表現すれば「禍々しい」。実話怪談の多くの作品とは雰囲気が明確にズレており、不穏で、凶悪な一方でとらえどころがない、砂利道の上に動物の内臓をぶちまけたような怪談が並ぶ。

 

 この本はkindle unlimitedで読めます。 

 

各作品評

 送り先…◯
 誰かが乗っている…◯
 箪笥から降りる人形の話…◯。「人形が言い訳をしに来そうで」という一文がいかにもこの作家らしくて良い。
 おじいさんとすれ違う…◯
 窒息オーディション…◎
 

あらためて、総評

 朱雀門出の怪談は題名からして奇妙な響きがある。今回も、『あゆいの男』『ギガ雛』『食人の間』『窒息オーディション』など、中身を読む前からジャンキーが思わず笑みをこぼしてしまうようなタイトルが並ぶ。
 
 ただ、以下は少し批評めいたことを言わせてもらいたい。
 正月に同シリーズの『脳釘怪談(無印)』、『脳釘怪談 呪殺』の猛烈な凶悪さにぶっ飛ばされたため、その比較になってしまうのだが、今回は、やや一般的な怪談に寄りつつないだろうか?
 
 俺は、朱雀門出の怪談の良さは、異様で凶悪な世界観をなんでもないように話す語り口にあると思っている。話そのものの異常さはもちろん、一見、その奇天烈さに無自覚な語り手の奇怪さとの相乗効果こそが大きな役割を果たしている。
 つまり、朱雀門出の怪談は作家本人こそが一番怖い。この人自身がマジで恐ろしい。
 
 そんな具合で過去のシリーズでしれっとやってみせていたのに比べると、今回の恐怖はかなりわかりやすく書かれているというか、作家自身が話の恐ろしさにかなり自覚的になっている気がする(それが当然と言えばそうなんだけど)。
 良い本だし、この作家しか書けない怪談だけど、俺は、もっともっと突き放してくれてよかったな。(なお、twitterの方の語り口は十分どうかしてるし、味わいとしてはあちらの方が俺の欲しがっているものに近い)。
  
 第39回はこれでおわり。次回は、『怪談四十九夜 断末魔』を紹介します。以上、よろしくお願いいたします。

 

第五脳釘怪談 (竹書房怪談文庫)

第五脳釘怪談 (竹書房怪談文庫)

 

 

『呪術廻戦』14巻の感想について

感想

 収録は第116話・渋谷事変34~第124話・渋谷事変42 まで。
 
 冒頭で宿儺vs.漏瑚が決着。

 前巻で陀艮のあとを引き取って呪術師たちと対峙し、まるで主人公のようだった漏瑚。今巻でも、なんだか悪役じゃなかったみたいな描かれ方です。

 そこに宿儺がかける言葉がいいですね。13巻の感想でも書いたとおり、宿儺はポジション的にも強さ的にもこの漫画の全勢力を完全に俯瞰しているので、めちゃ残酷なこともできるし、反対に、すごく優しいことも(たぶん本人にはそのつもりはないが)言えるんだな、と思いました。まさに、呪いたちの「王」なわけですね。
 
 でも、ベースとしては宿儺はやっぱり超悪役です。エグすぎる。
 っていうか、この火力は今後どう太刀打ちするんだろうか?
 個人的には、『呪術廻戦』はバトル漫画として俺が楽しめる(≒ 想像力が追いつく)破壊力の、そろそろ臨界に達しつつある。これがワンピースとか、ましてやドラゴンボールとかトリコの終盤くらいまでいっちゃうと、ピンとこなくなっちゃう。
 逆に言えば、いまの宿儺とか漏瑚あたりの火力を物語の頂点としつつ、真人みたいな変化球や釘崎とかがちょこちょこやってる絶妙なバランスが俺の一番好きなアンバイで、なにとぞ、この具合で。いまが本当に気持ちいいところです、と思ってます。
 
 今巻も退場者続出。あの人の散り際は『レオン』のオマージュでしょうか。
 それと同時に思ったのは、たぶん作者は真人を闇の主人公として描きたいのかな、ということ。物語の重心が大きく彼に寄りつつあるというか、この因縁の作り方は敵勢力の単なる幹部で終わらないな、と。そういう14巻でした。
 

『呪術廻戦』はネクスト鬼滅か?

 本筋と全然関係ないんですが、最近、「ネクスト鬼滅」というコピーとともに『呪術廻戦』が挙げられることがあります。
 俺が鬼滅読んでないのもあって「違う作風のものを無理くりくくるなや!」っていう反発もあったんですが、最近はこんなことを思ってもいます。
 
 あくまで仮説なんですが、少年漫画は、ワンピースあたりにジャンル全体を漠然と代表させると同時に、「だからワンピ読んどきゃとりあえずOK」的に、他の作品まではなかなか拡大・販促されていかなかったところがあった。
 しかし、各々の作品には潜在的に、性別や世代を超えて訴えかける商品としての魅力がちゃんとあった。その壁を、鬼滅が一大ブームによってぶっ壊した。
 ネクスト鬼滅という表現は、鬼滅に続く2作目を探せ、というより、少年漫画というマーケット自体の再評価をあらわすフレーズなのかな、と思うわけです。「少年」と言いつつ、いい歳こいた大人も、女性でも楽しめる市場が、以前から、それも広大に、ちゃんと存在しているじゃないか、という。
 そういう風に考えると、俺も抵抗が少ないというか、「おお、そうだ。『呪術廻戦』も壮年でも女性でもたぶん楽しめるぜ!」という感じになります。そうだ、みな『呪術廻戦』を読むとよいのだ。キャラがページめくったらいきなりサイの目になってたりするけどな。
 
 15巻は3月だそうです。2か月後に刊行は、嬉しいけど少し心配でもあり、先生は健康第一で頑張って欲しいと思います。以上、よろしくお願いいたします。

 

呪術廻戦 14 (ジャンプコミックスDIGITAL)

呪術廻戦 14 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

 マジで売れまくってるらしくて、コンビニで買おうと思ったら一冊も見かけませんでした。

夢について

 夢を見た。

 夢の中で俺の子供が生まれて、俺は生まれた赤ん坊を誰かから腕の中に手渡された。

 俺は赤ん坊を見た。玉のようだと思った。文字通り玉のようだと思った。実際、赤ん坊は柔らかい毛布で包みこまれてふかふかのぐるぐるになっていて、幾層にも重なったあたたかさの隙間から顔だけのぞいているようなかたちだったので、丸々していた。

 腕の中に抱えると、その丸々したのが毛布越しで手足を動かしてもぞもぞした。

 うんこするのかな、と思った。

 こいつはうんこをするのか。じゃあ俺がきれいにしてやらないといけないな、と思った。

 うんこをするよ、と言ったのは、赤ん坊を俺に手渡した人だった。

 そいつはうんこをする。だから世話をしないといけない。

 教えて諭すような声音だった。そうか、うんこをするから俺が世話するのか。俺は深く理解した。

 その人が何者だかよくわからない。ただ、声には聞き覚えがあるような気がする。その声は、俺の嫌いな父親によく似ているような気がした。

『チ。―地球の運動について―』1巻の感想について

はじめに

 絵はあんまり上手くない。表紙イラストはたぶん頑張って描いていて、本紙の方はもっと未熟なビジュアルになっている。
 なんでそんなことを最初から言ったかというと、この漫画について、絵の巧拙はたいした問題じゃないからだ。要するに、ひたすら強烈に面白い。ここから試し読みができるので読んでみて欲しい。
 

感想

 舞台は15世紀。C(キリスト、だろう)教による原典的な解釈が全てに優越した時代。地球が宇宙の中心にあり、太陽を含むあらゆる天体がその周りを回っているという天動説以外は認められない中、科学と合理性を重んじる立場から地動説の正しさを主張する人々の物語。
 
 とてもシンプルなストーリーで、まずこれは信念をめぐる物語だ。
 この時代では、地動説を主張すると審問によって殺されてしまう。社会的に、という意味ではなく、異端として、文字通り刑死の定めを課せられてしまうのだ。
 フィクションの主人公が、自分の主張を貫くことに命をかけるのは珍しくない。しかし、そのほとんどは信念がどうこうよりも、対立するライバルたちとの闘争の方に重心が置かれ、その点をエンターテインメント化することによって成立している。『チ。―地球の運動について―』のように、信念のために命を放棄できるかを真正面から問いかける物語はものすごく希少な気がする(ただ、何百年か前までこの世界は実際にそういう場所だった)。
 
 何を信じているか、を突き詰めると、その根底には美しさという概念が存在する。世界があるべき姿を知性の光の前にさらしたとき、人間は、それを美しいと感じずにはいられないように「作られている」。
 そして、この美しさの意外なほど近くに、死もまた潜んでいる。なぜなら、ごく一部の苛烈な人間にとって、自分が美しいと感じる真実を否定することは自分自身の存在意義を認めないのと同じであり、ときとして真実=美が自分の生命に勝ってしまうからだ。
 第1部の主人公ラファウにとっての美しさとは合理性であり、彼は物語を通して大きく変わったようでいて、何に最大の美を感じるかという点では、実は一本の芯が最初から最後まで通っていた。彼が変わった部分があるとすれば、世界は自分のためにある、という感覚から、自分こそが世界の真実をさらすために「使われる」べきだという転倒だったかもしれない。
 
 というわけで、(ケレン味の利いた漫画的演出や、人を食ったような題名とは裏腹に)ものすごく愚直で、熱をはらんだ作品だった。他の人にも読んで欲しい。
 ところで、繰り返すが絵はあんまり上手くない。この点をなんで二度もこするかというと、物語への感動とはまったく関係のないところで、ある感銘を受けたからだ。
 それは、絵という漫画作品におけるキーファクターが発展途上でも、スタートラインは切れる、切られるべき、ということだった(特に、この作者のように隔絶して優れている才能があれば)。
 俺たちが未体験の何かを始めるとき、そしてその成果を人前にさらそうとするとき、そのタイミングは技量がある一定の水準に到達してから、と考えがちだ。
 でも、それは本当に重要だろうか? まるで無意味な心配とは言わないけど、「見せても恥ずかしくないレベルを上回ってからリリースすること」は、何にも優先して大事なことだろうか?
 『チ。―地球の運動について―』において、恐怖という感情が人生の大切なファクターとして扱われている。恐れは、けっして避けるべきものではなく、むしろ人生の本質となるものとして語られている。これをさらに解釈すると、人生においては恐れないこと、ではなく、何を恐れるかが大事、ということになるかもしれない。
 この漫画の作者は、たぶんとても若い。嫉妬してしまうほどに。そして大きな才能を武器にスタートを切った。
 皮肉なことに、齢を重ねるほど、新しいことを始めることへの恐怖は増していく。長く生きて経験を積んだだけ、その恐れって実は全然意味なくないか? という知見が身についているべきなのに、まったく真逆の方向にブーストがかかってしまうバグが、人生には存在する…気がする。作品とは関係ないが、そんなことを思った。俺もそういう恐怖を振り払って、人生を正しく恐れたい。
 
 以上、よろしくお願いいたします。

 

 

美しいものについて

 美しい写真を見た。チョウセンアサガオの花と、闇の中でその花の蜜を吸うスズメガの写真だ。

 

https://assets.media-platform.com/bi/dist/images/2020/11/26/53ade3a95afbd3aa548b4569.jpg

 

 見た瞬間、しん、と静まり返るというか、見ている側の抱えていたざわざわしたものが整えられるような感覚があった。

 

 この写真の何がそこまで俺に美しさを感じさせたのか、自分で考えてみて、それは次のようなことだと思った。

 チョウセンアサガオは人体に入ると身体的な異常や幻覚を引き起こす成分を多量に含んでおり、薬用もされるが毒性の強い植物である。なぜここまで強烈な毒を有しているのかはわからないが、花ごと動物に食べられないためだとか、生存の過程で必要だったのだろう。

 それが花弁の奥に蜜をたくわえていて、昆虫を呼んでいる。植物が「呼ぶ」という表現は奇妙に感じられるかもしれないが、これは実際に呼んでいるのであって、植物は蜜に惹かれた生き物の体に花粉をこすりつけることによって、遠く離れたところに咲いている同種との間の受粉を媒介してもらうのだ。

 写真に写っているスズメガは空中でホバーリングしているが、ときどきは花弁の上で羽を休ませることもあるだろう。そのとき、脚の先や体に花粉が付く。

 このスズメガという生き物だが、成虫になればこのように優雅に忙しく空中を飛び回っているものの、幼生の頃はいわゆる芋虫という存在で、葉っぱの上だとか地面だとかを鈍重にのたくっている。

 美しい成虫と醜い幼虫、という対比が大切なのではない。幼虫の、生命そのものという具合で満々とみなぎるような様子は、それはそれで、ある意味美しい。

 重要なのは、変化するということだ。もちろん、観察を通じて衝撃的なその変態に驚かされるのも見ている人間の勝手な主観なのだが、とにかく、幼虫が自分で吐きだした糸で作った繭の中で自らをどろどろに溶かし、羽を備えてまるで違う姿になって出てくる、というのが壮絶なことで、そんな生き物は地球上に昆虫ぐらいしか存在しない(ということにしておく。実際は甲殻類とかも幼生からの過程でなかなかすごい変身をする)。

 

 あらためて、写真を見る。スズメガが口吻(こうふん)を伸ばし、チョウセンアサガオの花の蜜を吸っている。

 そこにあるのは協力ではない。花からすれば受粉が果たされさえすればいいのであって、虫の食事のことなど本質的にはどうでもいいし、虫の方も、自分の食事が重要であり、自分の体につく花粉のことなんて考えたこともないだろう。

 二種類の生き物は、同じ目的をまったくもって共有していない。写真に写った闇の中で屹然と咲く花弁と、針のように立った虫の口吻がそれぞれ象徴するように、自分の持っている強みというか性質というか、生命の漠然としたエネルギーを具体的なかたちにしたものを手探りで伸ばしていった先に必要なものがあったので、その結果として接触しただけだ。

 だからこの写真は強い緊張感によって支配されている。しかし、野性の中でお互いの性能を命の設計のままに伸長していった結果が、一方的な捕食でも、競争でもないこと、お互いに利用している意識さえなく、孤高と、第三者の目から見てはじめて理解できる「分かち合い」とが二層に重なっている状態であることに、妙な協調を感じる気もする。そして、それが進化の過程で猛毒を獲得したチョウセンアサガオと、同じく進化の産物として完全変態を行うスズメガの間で交わされていることに、俺はより特別な美しさを感じる。

 

 というのが俺がこの写真を美しいと感じた理由である、らしい。

 らしいというのは、最初に美しいと感じたときにはこんなことを言語化して考えていなかったからだ。なんでこの写真に心惹かれるのかな? と整理した結果、こういう理屈を掘り当てたことに自分でも驚いている。

 本当に美しいと感じるものにはちゃんと(その人なりの)理由がある。その人が世界に求めるもの、かくあるべき、と信じているものが表れているんだろう。

 つまり、美しいものというのはある意味で自分の名刺のようなもので、これは言い換えると、人間は自らの美から、それが自分の世界観自体である以上は逃れられないし、場合によっては、それを放棄するぐらいなら破滅する可能性があるということである…というのは『チ。 ―地球の運動について』という漫画を読んで思ったことでもあるのだが、長くなりすぎたのでここでやめておく。

 以上、よろしくお願いいたします。