『皇国の守護者』1巻の感想、もしくは6巻発売を待つ日々について

 これからある漫画についてベタ褒める記事を書く。

 

 たくさんの人がすでに評価している作品だ。それも、何年も前に完結している。

 でも、作者の最新作の感想を書くにあたってこちらをなんとなく読み始めたところ、先にこの作品について何か人に伝えるための場所を作りたくてしょうがなくなったのだ。

 

 その漫画を知ったきっかけは、ウルトラジャンプを通してだったか(当時『天上天下』と『スティール・ボール・ラン』を立ち読みしていた)、小説版の表紙を平野耕太が描いていたので作品名が記憶に残っていたか、そのどちらかだったと思う。

 表紙が和紙のようにこわこわしているその単行本をはじめて手に取ったとき、俺はあぐらをかいた姿勢をどんどん前傾させて、肉体的にも精神的にも作品にのめり込んで、コマの、あるいはセリフの一つ一つを見ひらいた目で凝視しながら、どこまでも深くその世界に沈んでいた。風雪と流血と、銃火の世界の中に。

 作品の名は『皇国の守護者』。同名の原作小説を伊藤悠(現在『シュトヘル』を連載中)が漫画化した、全5巻の戦記ものだ。

 

 物語は近代日本を思わせる〈皇国〉という架空の国を舞台にしており、そこに侵略してきた超大国〈帝国〉との戦争を描いている。テレパシー(作品内では「導術」と呼ばれる)や空想上の動物である龍の登場などファンタジー的な要素を含む一方、戦争という人と人とが殺し合う行為はひたすらリアルに描写され、人間は寒さと飢えで弱り、疲れ、戦闘という異常事態に高揚し、おびえ、銃剣で突き刺され獣に蹴散らされ掃射でなぎ倒される。

 

 物語は異常な速度で進行する。最初の一話で戦争が開戦し、〈皇国〉は〈帝国〉に初戦で完全に叩き潰されて潰走する。そして主人公である〈皇国〉の軍人 新城直衛(しんじょう なおえ)がその才覚を読者に示して、わずかだが相手に一矢報いて終わる。すべて一話の間でのできごとだ(その後、仲間を犠牲にして後退した新城が〈帝国〉に一度反撃し、今度も一定の戦果を挙げるも、〈帝国〉軍のさらなる増援が知らされるところで1巻は終わる)。

 この1巻も、以降の巻も、緊張感は一度もゆるむことなくストーリーは疾走する。1話ごとの情報量も異常なはずなのに、理解するのがまったくしんどくない。

 それは、すでに進んでいる原作があるために、どこに要点をおいて漫画にするべきなのかが決めやすいからかもしれない。まあ理由がなんであれ、わかりやすくて面白ければいい。

 圧倒的な質量で侵攻してくる敵軍。小勢ながらそれに立ち向かう友軍。優秀なやつ、いいやつ、死んでほしくないやつ。敵にも味方にも役者がそろっている。新城の策で、味方の奮闘で、希望がもたらされ、次のページで木っ端みじんに消し飛ばされる。味方が死ぬ。見えるところで死ぬ。読んでいて辛い。見えないところで死んだらしい。それでさえ辛い。それでも新城は戦う。5巻目まで休まず、物語の最後まで。読者もそれにつきあう。

 

 新城は不思議なキャラクターだ。ガタイがよくて直線的で、という俺のあっさい軍人のイメージとはまるで違う。見た目もちんちくりんだし、ものすごく屈折している。優秀で、冷徹で、状況も人の好意も全部利用するけどそんな自分を嫌っていて、作戦につきまとう汚さと責任は絶対に自分がかぶる。

 弱い新城に共感し、強い新城をカッコいいと思い…この作品を読みながら新城に魅了された。新城を襲う怒涛の不幸を嘆き、それを打破する新城に興奮した。新城と一緒に全5巻を読み終えた。

 

 そう、この漫画は5巻で完結した。これはけっこうな悲劇で、たまになにかの間違いじゃないかと思うことがある。

 もしかして俺一人、『皇国の守護者』がたった5巻で完結してしまった別の世界に迷い込んでしまったのではないかと思う。

 この作品が完結して7年以上経ったこの世界で、新城の死闘を見届けてからしがないサラリーマンになった俺は、いまの俺を別に嫌いはしないけど、元いた世界の俺が『皇国の守護者』の6巻を、あるいはさらなる続刊を読んでいるのなら、そいつがどんなに落ちぶれていようと、そいつをうらやましいと思うんであって…そして、ネット上にある同じような連載再開を願う声を見ては、ここが現実の世界だと、どうしようもなく気がつかされるのだった。

 

 2巻の感想はこちら(『皇国の守護者』2巻の感想、もしくは課長 新城直衛について - 惨状と説教)。同作者の『シュトヘル』についても書く予定。です。

 

皇国の守護者 (1) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ)

皇国の守護者 (1) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ)