『秋津』1巻の感想、もしくは「ギャグ漫画に生かされているもの」について

 中二病なので有能な二枚目がカッコつけて派手に必殺技かまして世界を救う話が好きである。

 中二病なのでパッとしない地味男が実は結局有能で結局二枚目であり、しゃかりきになって機転を利かせて何かを救う話が好きである。

 中二病なので特になんの長所もないボンクラが主人公で事件も特に起きない話は基本的に読まない。ギャグ漫画を除いて

 

 『行け!稲中卓球部』『デビューマン』…。好きなギャグ漫画。世界規模での大ごとはもちろん、個人的な事件さえほとんど起こらない。

 でも好きだ。それは、単にすげー笑ったし読めば今でも笑うから…だけではないと思う。

 

 何も起こらない日々への退屈。今後もきっと何も起こらないことへの予感。俺は、それを勢いと悪ノリでどうにか楽しくしようとするような『稲中』や『デビューマン』のアホな男子に強く共感したし、実際浮かれてればそこそこ楽しいことを教わった。

  

 一部のギャグ漫画は俺たちを包む「何も起こらなさ」と強く結びついている。

 何も起こらない日々を楽しむためにどうにか笑いにするために、「何も起こらなさ」を土壌として、俺らの退屈を救うものが生まれる。

 もちろん、「何も起こらなさ」からは他のものも生まれる。

 他の漫画や無数のフィクションがやってきたように、冴えないうすらバカにしか見えない男子がある日秘めたる才能を発揮したり特別な出自が明らかになったり美少女に好かれたりしたっていい(当然、「何も起こらなさ」はそのとき役目を終えて消滅する)。

 でも、少なくとも俺の好きなギャグ漫画はそういうことを描かなかった。あるのは冴えない連中の悪ふざけだけで、ギャグが生まれてきた土台である「何も起こらなさ」は守られ続けた。それはおそらく、単に作者が描きやすいとかとは違う、なんらかの理由によって。

 

 こんな記事を書き始めたのは、『秋津』1巻を読んだからだ。『秋津』はおっさんと小学生とおっさんとおっさんで構成された漫画だ。

 

 主人公・秋津薫は漫画家のおっさんで、おかしなことを言ったりやったりして息子や周囲の別のおっさんに迷惑をかけている。

 息子・秋津いらかはその反動できわめて大人に育った。あとは鬱とアル中を併発した同業者のおっさんとか、秋津のせいで胃に穴が空きそうな編集者のおっさんとかが出てくる。

 

 『秋津』はメインがおっさんなせいか他の作品に輪をかけて何も起きない。せいぜいおっさんが授業参観に行ったりとか別のおっさんがフットサルに参加して骨を折ったりしたぐらいだ。

 ただ笑えた。ゲラゲラ笑えた。そして、上に書いたギャグ漫画の世界にある「何も起こらなさ」について、少しわかったような気がした。

  

 「何も起こらない日々、事件も成長もない日々がそれなりにポジティブに、かつ押しつけがましくなく描かれる。」

 主人公のボンクラがあるとき覚醒して状況を打破する場面を読んで、その展開に燃えながらもどこか「へえ、なんだ。俺と同じかと思ったら意外と頑張っちゃうんだ。色んなことも解決しちゃうんだ。へーえ。カッコいいけどさ。へーえ」となる俺のような人間にとって、そんなただの日々のかすかな肯定はものすごく尊い

  そしてそれと同時に、それを作品として維持し続けるのはとても繊細で、意志のいる作業だとも思う。なぜなら、一度物語で何か事件が発生してしまうと、「何も起こらなさ」は失われて、二度とその世界に帰ってこないからだ。

 何も起こらないところから始まるすべてのフィクションは、いつかそれを放棄する機会を持っている(『アイアムアヒーロー』のように)。

 しかし、最後までそれを手放さずにい続けられるのは…そんなものは、きっとギャグ漫画ぐらいしかないんじゃないだろうか。何の波乱もないが、ただ笑いを生むために「商品」としての価値を確保しており、何も起きない存在でい続けることを許される。まるで、「何も起こらなさ」が生んだ笑いが、今度は「何も起こらなさ」を守るようだ。そのくだらなさによって救われる人を、間接的に守るために。

 

 そこに、「まあマジでなんにもない毎日だけど、受け入れて、できれば愛して楽しむしかないわけだから」っていう激励があるのかどうかは知らない。

 でも少なくとも、「平凡な毎日が一番の幸せ」的なちょっとスピリチュアル?な気づきも、異能力を駆使して美少女と逃避行しながら「ああ…思えばあの頃は…」的なやれやれも期待できない俺は、ギャグ漫画が生かしてくれたそのどうでもよさを受けて、ようやく俺自身の日々も生かされるのを感じる気がする。それは、ある意味世界の命運をかけた戦いを見守るよりもよっぽどすごい体験であり、もちろん一種の嘘であり、でも救いであり、マジックだ。

 

 そうだ、一部のギャグ漫画はそういう風に読めるし、そして俺はそういう読み方を他の人たちに…えーと、別にまったく薦めないんだった。

 『秋津』は面白い。なぜなら室井大資(描いている人)のセリフ回しと演出が最高に愉快でへらへら笑えるから。別にそれでいい。だからみんな読んでみて、って話なんだった。要は。

 

 最後に。ギャグ漫画って「良い要素」の密度が異常だな、と読みなおしていて思う。
 毎回記事を書くときにその巻のいいページを写すのだけど、まあ『秋津』のどこを開いてもいいなあと思う。毎ページなんかしら仕掛けてくる。そりゃギャグ漫画長く続けてたら漫画家ぶっ壊れるわ、と勝手に人の身を案じたりした。てめえが心が不安定なクセに。以上。

 

秋津 1 (ビームコミックス)

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