『皇国の守護者』3巻の感想、あるいは軍人とJKの共通点について

 尊大と卑屈の調節ができない。

 他の人に対してやたら上からになったり、逆にへつらうようになったり。後から自分のそういう態度を悔やんで、うーん、とか言ったりする。仕事帰りの電車の中や自室の隅とかで。

 なので、素直にの人を認める、ということができる人の、そういう健康な心のあり方にとてもあこがれているし、フィクションでもそういう描写があると「いいなあ」と思う。

 『皇国の守護者』を読みなおしてあらためて「おもしれーなー」と思いつつ、この「人を認める」という場面の描き方もこの漫画の良さだと気づいた。

 彼らは様々な間柄で実にあっさりと相手をたたえ評価する。上官と部下との間で。あるいは、敵と敵との関係でさえ。

 

 「何しろこれから戦争ですので」。自分や仲間の命がかかっている状況で、優れている者を純粋にそう認められることはそれが味方だろうと敵だろうと生死につながる。

 それで自分のエゴが相対的に主張をひそめるのはわかるけど、そういう状況だからこそ鎌首をもたげるのも自尊心というやつなわけで。なので、単に「すごい」という言葉を喋らせるだけじゃない、伊藤悠の描くキャラクターの行動にこもる説得力と、それに向けて語られる称賛の言葉は、俺をしみじみと「いいなあ」と思わせる。

 

 で。

 そういえば最近別の漫画でも人が人を認めてていいなあと感じた体験をしたなあと思ったら、おしえて!ギャル子ちゃんだった。

 スク水に鼻息を荒くしながらいちおうそんなことも考えていたのだ。

 『おしえて!ギャル子ちゃん』の世界には一応スクールカーストの概念があるので、人気者がいれば日蔭者がいて、秀才もいればそうでない者もいる。

 人間、先入観があるので特定のクラスメイト(というかギャル子)はナチュラルにマイナスの評価から入られたりする。

 でも評価する側(オタク、優等生等)の偉いところは、ギャル子が真面目で、いい子で、そういうギャル子のふるまいを見てちゃんと自分の認識を修正するところだ。

 自分の価値観に固執しがちで、ヤンキーが人の見てないところでゴミを拾おうが雨の日に捨て犬を拾うことがあろうが、普段オタクを廊下ですれ違いざま蹴り飛ばしてたらダメやんけと思う俺は、彼女たちのこういうところが偉いと思う。

 

 『皇国の守護者』の軍人たちも『おしえて!ギャル子ちゃん』のJKたちも、別に人を認めることがいいことだから意識的にそうしようと思ってやっているわけじゃない。

 戦場で生き延びる。

 日々を楽しく過ごす。

 自分が望ましいと思う生き方をする中で自然にそうしているだけだ。彼らの素直さの根底には、自分にとっての大切なことに対する感覚的な理解があって、それがなおさら良い感じだ。

 俺が血煙に酔い、あるいはスク水を拝んだ両作品は、そんなところで通底していたわけなのだった。

 

 なるほどね。と言ってとりあえず俺も誠実に生きることを決意。その後テレビをつけて世間の大小の悪、芸能人などを見て「クズどもが!」と言いながら舌打ちなどした。うーん。

 

 『皇国の守護者』3巻の概要。

 侵略、進軍を続ける敵軍〈帝国〉。撤退する友軍を逃がすため時間稼ぎをする主人公、〈皇国〉の軍人・新城直衛。

 前巻で新城がとったのは、祖国の井戸を汚染し自国の食糧庫を自ら攻撃、破壊しようという狂気の作戦。敵軍は食糧を現地から奪って調達しているため、それを不可能にしてしまえば侵攻はにぶらざるを得ない、ということ。策は一定の効果を示したかに見えたが…。

 侵攻する側と防衛する側。巨大な河を挟んで両軍が向かい合う。小勢ながら奮闘する新城たちを裏から挟みうちにするため〈帝国〉軍から分離したのは、眉目秀麗にして武勇にも優れるカミンスキィ大佐と、馬術において並ぶ者なしの武人バルクホルン大尉。

 その接近を感知した新城たちは、それを迎撃しなくてはならない。河を防衛する人員は残す…つまり、ただでさえ少ない自軍をさらに分割することで。

 押し潰すか、守り抜くか。両軍の役者が直接激突する。

 

皇国の守護者 (3) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ)

皇国の守護者 (3) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ)

 

 

1巻の感想はこちら(『皇国の守護者』1巻の感想、もしくは6巻発売を待つ日々について - 惨状と説教)。

おしえて!ギャル子ちゃん』1巻の感想はこちら(『おしえて! ギャル子ちゃん』の感想、もしくは彼女たちの15年間について - 惨状と説教)。