どうしようもないこと、もしくは『そこのみにて光輝く』の感想について

 生き物として逃れようがないこと、どうしようもないことが好きだ。

 好きというか、目が離せなくなる。

 

 絵本の『はらぺこあおむし』が好きで、生まれたばかりのあおむしがとにかくお腹がすいてしかたがないので一週間手当たり次第色んなものを食いまくる。食べ過ぎてお腹が痛くなって泣いたりする。

 

 古谷実の『ヒミズ』という漫画にホームレスのおっさんが出てくる。人当たりはいいし常識もあるのに、性的な意味で下半身の制御ができない。たぶんそのせいもあって人生まったく上手くいかない。最後は暴走してヒロインに暴行未遂を起こして物語から姿を消す。

 

 食欲は生き物を生かすためのもので、性欲は生き物としてのある意味最大の目的を果たすために与えられていて、どちらも命と分かつことができないものなのに、過剰に与えられているせいで、命そのものを損なってしまう。

 だからといって、切り離すこともできない。ちょうどいいところに調節もできない。

 どうしようもないなあ、と思う。物悲しい、と感じつつ、そういうことが、それこそどうしようもなく心に残る。

 余談だけど、過日、某お笑いコンビの片っ方が女子高生の制服を大量に盗んだというニュースを聞いたときもそうだったな。

 アホだなあ、と思いつつ、本人的にはもうそういう理性とか善悪とかで判断ができる次元じゃなかったのかな、とも考える。「このままじゃヤバい」というのはきっとあったはずなのだ。

 俺らがなんとなく腹が減ったからラーメン屋に行って塩ラーメンを頼んで食う。あるいはなんとなくネットでエロ動画を漁る。

 彼の行為にはそれとはわけが違う呻吟があったと思う。でも止められなかったんだろう。

 別に擁護するわけではなく、対岸から他人ごとに眺めつつ、でもなんとなく心をそこから放してくれないものを感じる。

 

 本題。年の瀬に『そこのみにて光輝く』という映画を観たので、その感想を書く。

 

【あらすじ】

 舞台は函館。主演の綾野剛は山での発破作業を生業にしていたが、事情があって仕事を辞め、いまはパチンコを打って酒を飲んで暮らしている。

 ひょろひょろ、というのとはちょっと違う、骨格はしっかりしているのに肉が少ないごつごつした体を引きずって街を歩く綾野剛のあてのなさ感が良い。その日もパチを打っていると、近くに座っていたチンピラ(菅田将暉)からタバコの火を貸して欲しいと頼まれ、それが縁で仲良くなって菅田将暉の家に飯を食いに行く。

 海沿いの掘っ立て小屋のようなその家で、綾野剛菅田将暉の姉である池脇千鶴と出会う。二人は惹かれあうが、池脇千鶴には寝たきりになった父親を含め家族を支えるために、売春をしたり地元の有力者の愛人を務めていたりするという背景があった。そんな二人の行く末を追う作品である。

 

綾野剛池脇千鶴。二人のラブシーン】

 綾野剛スピードワゴンの小沢が俳優をやるときの芸名、と断言する程度には特に彼に思い入れのない俺だけど、この作品の綾野剛はいい。

 前述した骨っぽい体をパチ屋の席や安アパートの一角に窮屈そうに押し込んでじっと腐っていくダメっぷり、人にぶん殴られたりチャリンコを漕いでるときの姿が発散するリアルな身体性には、観る者を惹きつける魅力があると思う。

 

 池脇千鶴も良い。可愛いしエロい。マジメで弱くて優しい。

 『ジョゼと虎と魚たち』でも思ったけど、好きな人ができたことへの喜びと、そのことゆえの苦しさを演じる姿が本当にいい。綾野剛は幸せもんだ。妻夫木くんもな。

 

 二人のラブシーンは二回描かれる。

 まだ出会って間もないある日。綾野剛がただの知り合いでしかないはずの池脇千鶴の家を訪ねていく。二人で近くの海に行って、なぜか沖に向かって泳ぎ始めた綾野剛池脇千鶴が追いかけて、それを見て少し戻った綾野剛池脇千鶴と、海中で口づけを交わす。

 次はある程度仲が深まったところで。綾野剛のアパートで彼が池脇千鶴に仕事を辞める原因となった悲劇を告白して、池脇千鶴にもたれて体を預ける。そこで交わる。

 

 前述したどうしようもなさにつながるのだけど、俺は最初のラブシーンの方が好きだ。

 この時点の二人はお互いのことなんてよく知らない。後に相手の良さを理解し、抱えている弱さをさらしあうことになるけど、いまはそんなことわからない。

 それでも求めあう。

 そこには、飢えた生き物が本能的に糧になるものそうでないものを見分けるような、あるいは逆に、飢えすぎていて毒であろうとかまわず口に入れてしまうような、いずれにせよ非常に動物的で、理性とは遠くへだたった部分が現れている。それが悲しくて美しいと思う。

 

【脇役について】

 主役二人も魅力的だけど、この映画、脇役に非常に恵まれた作品とも言える。

 まず菅田将暉池脇千鶴の弟役。パチ屋綾野剛にライターの火を借りた彼が実家に綾野剛を誘うことから物語は始まる。

 菅田将暉のチンピラの演技は衝撃の上手さだった。菅田将暉のことをよく知らなかったため、本当にその辺のチンピラをつかまえてきて普段通りにさせているのだと思ったほどだ。

 でも、本当にただのチンピラを連れてきてカメラの前で普段通りにしてくれ、と言ってもできないに決まっている。つまり、映画に出て完全に素人のチンピラとして完成されている人、という存在には矛盾があるのであって、その矛盾を解消してみせたのが菅田将暉なのであった。

 

 そして高橋和也池脇千鶴を愛人として囲う、地元の有力者。すでに観た人ならわかると思うけど、ある意味この映画のMVP。

 「年下の女に別れを切り出されたら恥も外聞もなく追いすがり、女の不幸の原因の50%ぐらいを占める存在と化し、あとはカメラの前でケツを出したり下世話なことを不用意に相手に口にして激昂されてひどい目に遭ったりしてください」。

 この注文に完全に答えてみせる役者がいたからこそ、この映画は成立した。高橋和也の好演と比べれば、綾野剛なんてうじついてカッコつけてればいいのだから楽なもんであった(暴論)。

 家族がいながら池脇千鶴を諦められない。完全に心が離れているのに金と暴力に頼ってまでも相手を抱きたい。

 たぶん観る者みんなの憎悪の対象を引き受けつつ、そんな風にして表現される男の想いのどうしようもなさは、主演二人のものとは違った意味で印象に残った。

 

【まとめ】

 時間と気持ちに余裕があるときに観た方がよい映画。沈鬱だしけっこう暴力的だし。

 だから、ちょっと時間が空いたから、明日から仕事/学校だけど暇つぶしに観るべ、とかってノリだとダメージが抜けない可能性がある。

 一方、実はけっこうフックになる部分が多く、気持ちがどんどん沈みつつも何かしら楽しみにして観とおしてしまえる映画でもある。

 綾野剛はカッコいーし。

 池脇千鶴は可愛いし。

 菅田将暉はマジでチンピラだし。

 どこまでも追い詰められていく果てに彼らがどうなるのか。

 観終わればきっと、「なるほどね」と思うだろう。そしてそれは、けっして嫌な後味じゃないはずだ。以上、『そこのみにて光輝く』の感想でした。

 

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