アレクサンドロス、この圧倒的捕食者。『ヒストリエ』10巻の感想について

※以下、作品の内容について激しくネタバレしています。注意。

はじめに

 表紙をめくって現れた絵を見て、思わずそのまま見入ってしまった。

 顔と体に敵兵の血を浴びたアレクサンドロス。その表情が、もうなんか凄い。こいつとはもう話が通じないというか、こいつの前に立たされた時点で死亡確定感がハンパじゃない。

 感想について、って記事の題名に書いたけど、あんまりストーリーの内容とか触れない。ただもう王子がヤベェ。そういう話。

 

アレクサンドロス、この圧倒的捕食者。

  新刊が出るたびに「あれ、俺どこまで話追ってたっけ?」となる恒例行事を無事済ませ、いざ『ヒストリエ』10巻。

 ストーリーは主人公・エウメネス属するマケドニア軍と、敵軍であるアテネ・テーベ連合とが激突するカイロネイアの戦いにて、マケドニア王子・アレクサンドロスが一番槍で敵陣に突っ込んでいくところから始まる。

 王子は王子なので周りは当然そのケアに気を遣うんだけど、王子は父親であるマケドニア王からも病気呼ばわりされる…端的に言うとイっちゃってる人なので、愛馬を駆って文字通り先駆けし、そのままなんと敵の列をぶち抜いてしまう。

 

 そしていわゆる無双が始まる。アレクサンドロス無双であり、岩明均的強キャラ無双である。

 戦闘シーンを描く漫画においてその作品世界における強キャラの強さを、ヤバさをどう表現するかは大きな問題で、多くの作家さんたちがその方法を試行錯誤してきたわけで、それで俺はその中でも、岩明均は強キャラを描くのがめちゃくちゃ上手い作家だと思っている。

 この人の漫画の強キャラは、別の作家・森川ジョージの表現を借りると、他のキャラクターと「流れている時間が違う」気がする。

 たとえば狩る側が狩られる側をロックオンする。攻撃する。体を武器で撃ち抜いたり、首を落としたりする。

 このとき、狩られる側には自分が標的にされているという意識が表情にない。別に狩られる側がノロマなわけではなくて、意識が追い付いていないのだ。岩明均の描く「怪物」の動く速度に、狩られる側の弱者はまったく対応できない。

 ヤバいと思った時には相手のモーションが終わっている。もうやられていて致命的な損壊を体に負っているのだが、まだ痛覚が追い付かないのでなんだかポカンとしている。そして、痛みがやってくる前に絶命している。

 狩られる側が本来持っている命の時間の流れというか、ある種の尊厳みたいなものが、戦場において強キャラにあっけなく蹂躙される。圧倒的な速度を持つ強者に生殺与奪の全権限が集約され、弱者は自分の命の扱いについてさえ主権をとれないというか、バカみたいな感じになってしまう。

 その理不尽さ。にもかかわらず、これはフィクションの中だけではなくて、なんとなく実際の戦争も殺人もそういうものかもな、と思わせる説得力が岩明均の殺陣にはある。

 

 というわけで王子は思うがまま馬上から敵兵の首を狩って落とす。上で口絵の表情ヤバすぎ、と描いたけど、本編で剣を振りかぶってるときの顔も同じくらいヤバい。すごく静かで、でももう間違いなく話し合いとか絶対成立しない。

 黙って殺しまわってるから怖いのかというと喋っても怖くて、王子は敵陣ではしゃぎすぎて携行していた剣をすべて折ってしまう。なのでしかたなく馬を降りて、まだ大勢生き残っている他の敵兵の前で、淡々と自分が殺した敵兵の武器を集め始める。

 自分を見てヒイている敵の顔を見て、王子は自分の行為を弁解する。

 敵兵、もっとヒく。

 敵兵の気持ちがよくわかる気がする。王子の口上の内容がおかしいのではなくて、単騎でこちらに突っ込んできて相手を殺しまわった奴が、敵に包囲された状態で悠然と自分の行為を説明していることがおかしい。

 だけど、これが相手の中ではちゃんと理屈が通っているらしくて、そして忘れてはならないことに、生物の格として、どうやら相手は圧倒的な捕食者、こちらはこれから喰われるのを待つだけの存在である。

 これは恐怖しかないだろう。で、なんかマゾっぽいけど、俺はこの際この殺される側の恐怖に共感して楽しんだ。俺も王子に強襲され、なで斬りにされ、王子の演説にヒいた。

 要は、読者にも殺られる覚悟を嫌でも決めさせる迫力が今巻の王子にはあったということだと思う。

 

 あとは巻の後半でエウメネスのロマンスとか。

 ちょっと王子の余韻がすごすぎたんでその話ばっかりしちゃったけど、「私のため」「俺のため」と、お互いあり余る感情を、相手を試すかのように短い言葉に表してみせ、1コマずつ刻まれるその表情とか、なんとかなるようでならないのか、本当にならないのか、と揺れ動く心情とか、とてもよかったと思います。

 

おわりに

 月並みな感想だけど、とても面白かった。他方、死ぬほど面白いものを作るのにはやっぱり時間がかかるのかなあ、とかも思った。

 マケドニア軍の軍人たちとか王子の学友たちにも魅力的なキャラクターがたくさんいて、あ、この人らとエウメネスとまだ絡ますんすか、楽しそうだけどもっと話進まなくなりませんか、という、ワクワクと「マジで完結前に作者死ぬんじゃねえ?」な危惧がごっちゃになった複雑な気持ちになったりした。

 とりあえず、以上、王子ヤベェの話でした。2年後にまた会いましょう。(おわり)