はじめに
遅ればせながら『デビルマン Crybaby』を観まして。
率直に言う。泣きました。
素晴らしかった。
というわけで感想を書きたいのですが、もちろんすでにたくさんの方が感想を書かれているので、あんまり言及されていないように見えるところにしぼって感想を書きます。
・第9話のエンディング
・ライバル燃えの中二病患者が観る『デビルマン Crybaby』
・泣き虫、飛鳥了の物語としてのCrybabyについて
って感じです。ネタバレ上等。観た人向けです。よろしくお願いします。
第9話のエンディング
まず、Crybabyは音楽がとにかくめちゃめちゃ仕事している作品です。
オープニングの『man human』も、エンディングの『D.V.M.N』も、その他のbgmも最高にカッコよかった。
で、その中でも異彩を放ってるのが、第9話の特別エンディングに使われた『今夜だけ』という曲です。
俺はこの曲とそれ似合わせて流れる映像を観ながら、ぼろぼろ泣きました。
以下、本当にネタバレ全開です。
あれはたぶん、エンディングテーマというよりストーリーの一部として観ることが正しい映像なんじゃないでしょうか。
どういうことかというと、死ぬ寸前に美樹が見た心象風景として、明と一緒にバイクに乗って夜明けの光の中を駆けていく光景があって、それに『今夜だけ』という曲をあてたものを、俺たちは見ていたのだと思います。
明と美樹がああして一緒にバイクに乗ることは、現実には一度もなかった。明が到着して助ける前に美樹は死んでしまった。
しかし死ぬ前に、自分がいつか待ち望んでいた夢を美樹は見ることができた。それがあの映像なのではないか、と思うのですね。
バイクに乗っている明と美樹の雰囲気が、完全に恋人同士のそれに見えることもこれが美樹の夢だと思う理由のひとつです。
美樹と明の関係って、現実では恋人まで発展しきらなかった。お互いにかけがえのない存在であることは明らかだったけど、その奥におそらくあった恋愛感情までは表に出されなかった。
起きることがなかった気持ちの告白を心の中でして、夢の中ではあるけど、二人は恋人同士になった。「今夜だけ踊らせて 今夜だけ打ち明けて」という『今夜だけ』の歌詞も、それを暗示しているんじゃないかと思う。
そういう映像だと思います。そして、最後瞼が閉じられるようにしてフェイドアウトして、その夢は終わっています。
ライバル燃えの中二病患者が観る『デビルマン Crybaby』
Crybabyは欠点が全くない作品なんでしょうか。
全然そんなことないです。
特にキャラクターの行動は支離滅裂に感じられる部分が多々ある。
特に了は自分勝手な理由で一般人を殺しちゃうし、そのどさくさで明を悪魔にしちゃう。物語が進めばその理由はわかるけど、最初は意味が分からない。
他にも人によって気になるところがあると思います。原作とCrybabyにおける明が悪魔化するきっかけの違いとか。
でも、それらをふまえて俺は言いたい。
了のせいで最後にすべてを失った明と、明のために最初からすべてを仕組んでいた了。
宿命の二人が物語の最後に激突する。もうそれでいいじゃないか。
Crybabyの音楽が素晴らしいのは上述しました。
でもそれを脇に置いても俺は言いたい。最強のデビルマンである明と悪魔の祖・サタンである了が激突する。もうそれだけでもいいじゃないか。
俺は中二病なので、物語の最初から深く因縁を絡ませてきた同士が最後の最後で戦う展開が大好きで、もうあっさりノックアウトされてしまうのです。
例えばペコとスマイル(もしくはドラゴン)とか。
あるいは藤木源之助と伊良子清玄とか。
瀬能宗一郎と木久地真之介とか(松本大洋多いな)。
ヴァッシュとナイヴズ(もしくはレガート)とか。
アーカードとアンデルセンとか。
名無しと羅狼とか。
雨宮夕日と東雲三日月とか(少年画報社も多いな)。
椿三十郎と室戸半兵衛とか。
物語の序盤から相手への重たい愛と因縁がすごいわけですよ。それが飽和しきったところと物語のクライマックスがシンクロするわけですよ(アンデルセンはクライマックス前だけど)。
それが熱くないわけないじゃないですか。それでいいじゃないですか。それでいいですよ。こまけえことはいいんだよ!
泣き虫、飛鳥了の物語としてのCrybabyについて
Crybaby(泣き虫)という言葉が指す人物は二人います。一人は明、もう一人は了です。
明が泣き虫なのは作中で何度も描かれていますが、了が泣き虫なのも物語の冒頭で匂わされています(猫が死んだときに幼い明が言った「了ちゃんも泣いてる」)。
他者への共感を欠いた一見冷徹な人格である了の本質を明は見抜いていたのだと思いますが、じゃあ了はなぜ泣いていたのか?
①猫が死んで悲しかったから
②大切な人である明が悲しんでいて自分も悲しくなったから
③泣きたいのに泣くことができないから
①②もあるでしょうが、最終的には③が一番大きいのではないかと俺は思います。
まず、「了ちゃんも泣いてる」と明に言われたときの了は、実際に涙を流してはいないと思います。
このときカメラは了の左横顔を映しているので、映っていない右側で実は泣いていた、という可能性はありだと思いますし、俺は最初そういう演出だと思いました。
ただ、物語の最後にサタンとなった了が本当に流した涙の重みを考えると、このときはやはり涙は出ていなかったのだと思います。それもあって、了も自分が泣くはずがないと考えた。だから、このとき明が何を言っているのかわからなかった。
ただ、了自身気づいていないところで、了はちゃんと物事を悲しむ心の動きを育んでいたんじゃないでしょうか。しかし、それを自覚することまではできなかったし、落涙するという肉体的な動作で表すこともできなかった。そして、そのことで強く苦しんでいた。
涙を流すことができず心で泣いていた了の心を、明だけが見通すことができた。これが、「了ちゃんも泣いてる」の意味なのではないかと思います。
その了も、物語の最後で明を失って(おそらく)はじめて涙を流し、悲しみという感情を自分がもっていたことをようやく認めます。
考えてみると、サタンである了は人間よりも先に地上に存在していて、後発である人間が地上で繁栄し愛情らしきものを獲得しても、ずっと孤独だったわけです。孤独で、自分の感情の表し方を知らなかった。
これをCrybabyのモチーフのひとつである陸上競技にたとえると、他者への理解と優しさの獲得という知的生物としてのゴール地点が設定されているにも関わらず、見当違いの方向に一人で延々と走り続けているようなものです。
Crybabyという作品は、この迷える孤独なランナーたる了が、後発の別のランナー(明や美樹)に並ばれ、追い抜かれ、しかし最後にバトンを任され、ようやくゴールにたどりつく物語とも言えると思います。
そういう意味では了はまさしくもう一人の主人公であって、第10話で明の方はわりとあっさり死んじゃうんですけど、そこで物語の焦点がはっきりと了の方に当たるようにされているのは、ストーリーの流れとして素晴らしかったんじゃないかと感じます。
おわりに
物語の最後に地球が再生しているような描写がありますが、個人的にはおまけみたいなもんかな、と思ってます。
現実には叶わず夢の中だけで見ることができた美樹の夢と、すべて失うことでしか了自身気づけなかった自らの感情の正体とは、それが救いようのない悲劇の中で起きたことだからこそ、圧倒的に美しいと思うので。
まあ細かいことはどうでもいいじゃないですか。どうでもよい。俺たちは、また熱いライバル作品がひとつ増えたことがおおいに喜ぼうじゃないか…そんな風に思う次第なので、以上、よろしくお願いいたします(作品からのメッセージを大量に取りこぼした解釈)。
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