偉そうなのに間違っている奴の言うことはすべて無視していいかということについて

はじめに

 あまりオチのない話。

 

 『スプラトゥーン2』が好きで、一昨年の秋に買って以降いまだにこればっかりやっている。

 で、今日こんな記事を読んだ。

 「スプラトゥーン」の中毒性が極端に高い理由 | ゲーム・エンタメ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 不思議な記事だな、というのが俺の感想だった。それは、この記事がスプラトゥーン2を批判しようとしているのに(おそらくそうだろう)、その悪いところの指摘がかなりふわふわしているからだ。

 この記事では、「スプラトゥーン2はゲームとしてものすごくよくできている →よくできているが、できすぎているがゆえに時間は吸われるわ熱中しすぎるわで危ない」というかたちで、優れた面を危険な面に反転させることで批判を加えようとしている。

 ただ、「よくできてるからこそ危ないんだぜ」とひっくり返してからの掘り下げが、実は全然足りていない。だから、たぶん読む側としてはそりゃ完成度の高いハマれるゲームはみんなそうだろう、なんでスプラトゥーンだけ批判される? という気持ちになる。

 

 ここからが本題。

 実際、この記事に対する反応は冷笑的なものが多い。スプラトゥーン2を批判したら批判を返されている状況だ。

 ただ俺はというと、上で書いたようなことを思いつつ、けっこう的を射ているな、とも感じていた。確かに俺もものすごく時間をつっこんでるゲームだし、記事で紹介されているようにプレイしていて罵詈雑言を吐くことが実体験としてあるからである。

 思うのだが、今回のケースは「専門家を名乗る何者か」×「大上段から発信されたにもかかわらずあまり練られていない浅薄な内容」×「それでもおそらくここには原稿料が発生している」からこそ、読者からかなり強い反発を招いたんじゃないだろうか。

 そうではなくて、一般ユーザーの目線から見て、基本的に素晴らしいゲームだけどこういう怖い面もあるなと漠然と思いました、というテイであれば、みんなもっと冷静に聞いたのではないか、なんなら自分の身を振り返ったのではないか、と思う。

 

 だから、自分の意見を表すとき、目的が炎上や売名にあるならともかく(今回のケースがどうかは知らない)、真摯に相手の心を動かそうと思ったら、インパクトよりもパッケージのし方を優先して考えた方が目的にかないやすいのだろう。

 ただこれは、発信する側の心構えの問題。俺はこの件でもう一つ思ったことがあって、じゃあ記事を読む側は「こいつ偉そうな割に全然たいしたこと考えてないな」と判断した瞬間、即自分のモードを拒絶・批判に切り替えていいのか? けっこうそれは損だったりしないのか? と考えた。

 

 伝えたいメッセージがあるならそれを包むパッケージもちゃんと考えようぜ、というのが今回の発信する側の教訓。

 でもメッセージとパッケージは一応別のモノのはずで、いや、イカやってて思わずトサカ来ちゃうことがあるやつけっこういるでしょ、プレイヤーやその家族としてちょっと考えた方がいいのはそのとおりじゃねえ? とは思ったんですね。

 じゃあ、パッケージの例で言ったら、あんた、あまりに礼儀を欠く相手からあるときクソまみれの箱が送られてきて、中身に一片の値打ちを期待していちいちその包装をひもときますか?

 そんな時間、忍耐ありますか? 暇なんですか? ということなんですが、まあ時間・忍耐ないですけど、一概にこいつアホだから石投げていいわ、ってのも一方で違うかも、という、まとまらないですがそう思ったので、以上、よろしくお願いいたします(苦しい)。