先に左右を倒さないと蘇生させてくるパターン。『ゴールデンゴールド』5巻の感想について

 あいかわらずべらぼうに面白かったですが、今巻はあまり大きな波乱がなかったので(終盤のぞく)簡潔に。

 

 まず印象に残ったところ。ばあちゃんの変貌とフクノカミの扱いをめぐって、琉花がお母さんともめました。琉花は母親が持ち出す世間の常識や社会人としての自信にまったく太刀打ちできず、コテンパンに論破されます。

 琉花の悔しさが、とてもよくわかる。俺もよく親に口げんかでつっかかっては、自分がいかに世間知らずであるか、また自らの考えを言葉にまとめるのがどれだけヘタクソかを毎回思い知らされていたからです。

 しかも子供である以上は、口論の後も自分を言い負かした相手(要は親ですね)の庇護のもとで生きていくしかない。小さいなりの自分のプライドをへし折った相手にこれからも育ててもらわなくてはならない無力感があります。もちろん、本来はありがたいことです。

 

 ただ、今回のケースで言えば、俺は琉花の方が正しいんじゃないかと思うんですね。

 お母さんが琉花を言い負かすのに持ち出した知識・合理性は、あくまで一般常識の世界におけるルールです。

 でも、フクノカミという存在は明らかに超自然的なものであって、その異常な存在によって実際に離島に常軌を逸した繁栄が起こり、自分たちの家族が人格まで変質するという事態に発展している。

 この状況は、常識の範疇ではなく、もっと俯瞰した視点で考えたり、あるいは、何か本来であればいてはいけないはずのものによって自分たちの家庭が侵食されているから守ろうぜ、というすごくシンプルなスジで解決するべきだと思います。

 それを、儲かる/儲からないとか、これまで諦めていた夢の実現とかっていう基準で判断しようとするのは、現状を普通の大人の解釈に有利なように不当に引き寄せてマウントをとってるだけじゃない? と思うわけです。

 琉花はお母さんに論破されたのをきっかけに世の中のこととか経済のことをもっと勉強しようと思い立ったようで、それは黒蓮先生の言うとおり立派な心がけだけど、この問題に立ち向かう上では適切でない「常識的」というルートに、それも完全な初心者として踏み込もうとしているようで、それは悪手だったりしないかしら? とか。

 このマンガが、本来ならある意味非常識な発想でしか解決できない難問が、ぱっと見の利益の多寡や合理性の問題に置き換えられた結果どんどん悪化していく様子を描きたい…かどうかは別として、そんなことを思いました。

 

  他にはばあちゃんの過去編ですね。大人顔負けの利発な少女だったばあちゃんがやがて青年期を迎え、島に戻ってきた昔の知り合いと結婚し、子供をもうけ、夫を見送り…という半生が、絵巻物のように流れていきます。表現としてとても高度なことをやってるなと思いました。ぐっときました。

 これまで、フクノカミが人間社会に働きかけるチャンネルとしてばあちゃんを選んだのは、単にばあちゃんが琉花の近親者かつ商店の事業主で都合がよかったからだと思っていたけど、若い頃の才覚を見るに他にも理由があるのかな?

 

 後は寧島さらに大繁栄、編集・青木君カムバック、マザコン密談とかでしょうか。かつて寧島で起きたと思われる事件の一端も少しだけ紹介されます。

 前の巻に比べればそれほど大きな事件はなく、と思っていたら、最後にデカいのがきましたね。

 琉花がちょっと剣呑な感じなのでリスクヘッジなんでしょうか? 自発的にやってたので自分のためではあるんでしょうが、スタンドを持つ者同士の戦いみたいなことに展開…はしないだろうな。たぶん。以上、よろしくお願いいたします。