ヘドの底にいる人について

 人間は自分より幸せな者が嫌いなので、上を見上げたときに自分より幸せな者がいることに気がつくとムカついてヘドを吐く。吐かれたヘドは重力にならって下に向かって流れ落ちていく。
 他人のどこに幸せを感じて憎悪を抱くかは人によって違っていて、俺の場合は、多くの愛するべき人に恵まれているにも関わらず自分の生きることの下手くそさ、不器用さを嘆いている人を見たときに強い憎しみがわく。
 なぜなら俺にはそれらが手に入らなかったから。
 何が生きるのが下手くそなんだ、と思う。あんたは、結婚して子供までいるじゃないか。
 子供はいなくても嫁さんがいるじゃないか。
 結婚はしてなくても恋人がいるじゃないか。
 要は…何がうまくいかないのか何をしくじってきたのか知らないけど、それなりにうまくやれてるじゃないか。
 俺は何にもうまく行かねえ。あんたよりはるかに不器用でろくなことがなくて誰ひとり手に入らなかったのに、そのことに不平を言わず歯を食いしばってて、その俺の立場はどうなるんだよ?

 

 狂った犬の八つ当たりもいいところで、別に誰に周りを囲まれていようと辛いことは起きるし、それを嘆くのは当たり前なのだが、俺の憎しみは反射的に燃え上がり、うっかり俺の前で自虐を披露したその誰かを心の中で血祭りに上げずにはおかない。理屈じゃない。

 

 その俺が、今度は自分が何かを嘆く側に回ったとき、どこかで誰かがそれを見て、きっとヘドを吐いているだろう。その誰かからすれば、俺はたぶん、十分に「うまくやっている」側だから。
 恋人はいないが家族はいる。生活に困るほど貧しいわけでもない。朝起きて呪いの言葉を呟きながらもなんとか毎日家を出て出社することができる。楽しいことはひとつもないが、誰に虐げられているわけでもない。
 そんな俺は十分マジョリティ側で、「うまく行かねえ」と吠えながらそれなりにうまくやっていて、たぶんもっと不幸なマイノリティをうっかり踏みつけながら、知らない間に彼らにゲロを吐かれている。

 

 人間が、みんなが、この世のすべての人々が上を見上げてから下に向かって吐いたヘドはどんどん流れて流れ落ちて、特に根拠はないがすべてのヘドが溜まったこの世界の底に、ひとりの人間がいる気がする。
 そこから見上げるとこの世のすべての人間がヘドを吐いている姿が見えるその場所に、ひとりの人間が立っている。
 想像したその人は、しかし、上を見上げはしないし、もちろん下を見てヘドを増やすこともしない。ただ前を向いているか、あるいは目を閉じている。
 その心の中が希望なのか絶望なのか、激情なのか静寂なのかわからないが、俺はそんな誰かがいることを想像してみる。そして、たぶん本当にそんな人がいる気がしているので、以上、よろしくお願いいたします。