『レイリ』完結に寄せる言葉について

 完結しました。お疲れさまでした。

 

 実を言うと、たかがいち読者の身で勝手ながら、この6巻を読み始める前は不安がありました。

 以前、記事でも書いたことなのですが、物語の開始当初からどうにもストーリーのエンジンがかかるのが遅すぎると感じていたところ、これがついに盛り上がってきたのが4巻で、と思ったら結局6巻で終わりになってしまうという。

 どうも急な印象があり、もしかして打ち切りなのでは、と思った。作画の室井大資が携わっている『バイオレンス・アクション』の現況もあって、『レイリ』についても、なにかすったもんだがあった末の終了なのでは、という邪推もあり。

 要は、物語としてちゃんと閉じられているのだろうか、というおそれがあったわけです。

 結論として、まったくの杞憂でした。素晴らしい幕引きだったと思います。

 で、物語の締め方の美しさとともにある感想も抱きました。

 それは次のようなことで、史実の出来事の中でも割りと小さいな規模のものに終始した印象のある本作、よく言えば大河の傍流、悪く言えば地味な部分が取り上げられているイメージでしたが、実は歴史の大イベントど真ん中にぶっ刺さってる箇所、伏線もあったということ、それでいて、単に歴史の影に隠れたすごく重要なストーリーなんだぜ、というだけでない、不思議な清々しさがあることです。

 

 大イベントにからむのは織田信長をめぐる部分で、対武田家という意味では今作で武田に完勝しているといっていい信長が、武田信勝の偽造した手紙に心打たれた明智光秀によって、最終的には討たれるという構造になっているところです。

 これはある意味、悲劇の天才である信勝が、滅んで消えゆく武田軍という歴史の端っこのポジションと短い生涯を飛び越えて、史上の大イベントを呼び起こしたということです。そしてこれを考える上で、信勝は偽造した手紙の差出人こそ偽っているけれど、そこに書かれた言葉は本心から出たものであるというのも重要なところだと思います。

 失敗続きの不器用な父への愛情と、そうした人物こそこれからは人を束ねる立場に立つべきであると判断する慧眼によって、歴史の流れを大きく決定づけたこと、それがこの話のミソだと思います。

 

 もう一つは、せいぜい雑魚の群れ相手に無双したり友軍の敗戦処理を手伝ったりといった規模で戦っていたレイリが、実は徳川家康という戦国の最終勝者の文字通り背後を二度も取り、その気さえあれば首級を獲れる活躍をしているところです。

 レイリ=零里とは、もともとはいつまでも家族のそばから離れないことを願ってつけられた名前であり、それが後に信勝の影武者として主君とのゼロ距離という意味も兼ねることになったのだと思うんですけど、この家康との奇縁を考えると、実はこの大将軍との「レイリ」もかかっているのでは、と、これは深読みかもしれませんが、そんなことを思います。

 

 上に書いた信勝の手紙と光秀の件も含め、この物語の中ではいわゆる歴史上の大イベントとそうでもない部分がつながり、あるいは単に混在していて、これは、一般的に感じる、たとえば日本史のテストで点を取るときに意識されるような「重要な」部分とそうでない部分をあえて並べ、たいらな視点で見直すこともテーマなのではと考えました。

 天下の徳川家康が一人で立ちションしてたら一介の女剣士にあっさり背後を取られる場面、あるいは物語の最後が大河とか一大叙事詩とかまったく関係なくああいう感じであったことも、なんとなくそれを象徴しているような気がしないでもないです。

 

 あらためて、よい物語でした。原作の岩明均には引き続き『ヒストリエ』をがんばっていただくとして、室井大資には『イヌジニン』の続きをとても描いてほしいのですが…。どうでしょう。

 作者のお二人に、重ねてお疲れさまと申し上げます。以上、よろしくお願いいたします。