悪夢について5

 勤め先に行くために、どこかの駅で切符を買おうとしていた。
 券売機の調子が悪いのか、硬貨の状態がよくないのか、機械が何度小銭を入れても受け付けてくれない。自分の後ろには切符の購入を待つ人たちが並んで列をつくっている。
 列はどんどん長くなっていく。焦って投入を繰り返したが、まったくダメだ。周囲の人たちは苛立って、その怒気が空気にじっとりとにじんでいる。
 唐突に、近くにいた男に足を蹴り飛ばされた。自分は、恥ずかしさと混乱で一瞬呆然とした。それから、一挙に、強い怒りがわき上がってきた。
 「いま、あなた蹴りましたよね」
 「蹴ってねえよ」
 「蹴りましたよ。どういうつもりですか」
 「蹴ってねえって」
 男は馬鹿にしきったようにへらへら笑っている。
 「ふざけないでください。警察に一緒に来てもらえますか。続きはそこで話しましょう」
 服をつかむと、強引に男を引っ張って駅を出た。ふと、このままだと会社に遅刻する、という考えが頭をかすめた。
 しかし、男を連れて歩き始めてしまって、もう後戻りができない。悔しさと怒りで頭が煮えたようになっている。男の方は、警察に行くというのに、少しも焦らないであいかわらずにやにやしていた。
 街にはあまり人がいなかった。辺りには白くまぶしい光が射していて、建物も道路も穏やかに静まりかえっていた。
 一本の道を通り越して歩き続けようとしたとき、男はだるそうな声で「おい、こっちだこっちだ」と言った。その言葉で、いま過ぎ去ろうとした通りを見たら、その奥に交番が建っていた。なんだか涙が出そうになりながら、男を引きずってずんずん歩いた。
 交番に入って声をかけようとしたら、それよりも早く、交番の中にいた警察官にはとても見えない髪を茶色く脱色しただらしない格好をした男が、「電話」とだけ言って、古めかしい黒い受話器を自分に押しつけた。
 受話器を耳に当てると、向こうから職場の上司が「おまえいまどこにいるんだ」と冷たい声で言った。
 反射的に時計を探した。交番の壁にかかっている時計は、始業時刻を40分過ぎたことを示している。
 自分は激しい動悸を感じながら、「遅れました」と、まったく答えにならないことをつぶやいた。視界の向こうで、自分が連れてきた男と警官が並んで、旧知の仲のような親しさを漂わせながらにやにや笑っている。
 「理由は」 聴いたこともない、突き放したような声音だった。自分は頭が真っ白になって、自分がそれに何を答えているのか、そもそも何かしゃべっているのかさえわからなかった。そのつかみようがなくぼんやりした隙間に差し込むように、「ずっとそうなんだよ。だからおまえはそうなんだよ」と誰かが言ったが、それが連れてきた男と警官のどちらなのかはわからなかった。