『古見さんは、コミュ症です。』が14巻でえらいことになっていたことについて

 俺はかねてからもう留美子と付き合えよ、とかふざけて言っていたんだけど、そういうことをある意味へらへらしながら言えていたのは、この作品の中にある三角関係にかかる恋愛描写が、いい意味であまりくっきりしていなかったからで、それが今巻の終盤のある1ページでかなりぎりぎりしてきて、なんか呻いてしまった(ほめています)。

 

 実は、只野くんと万場木さんが花火を見るあのエピソードは本誌ですでに読んでいて、最初の呻吟を経験していた。

 それで、14巻が出てAmazonでレビューを見てみたら俺みたいに「悶え苦しみました」みたいなことを言っている人がおらず、ああ、じゃああのエピソードは収録されていないんだな、と。

 

 でも載っているじゃないか、買って読んでみたら。

 

 俺は読みながらのたうった。

 そんな淡々とレビューが書けるような話じゃないだろうこれは。えらいことになっているだろう、あの留美子の1ページは。と思った。半分冗談だけども、半分本気で。

 

 最近の漫画はどう展開してどこに着地するかわからないから断言できないが、ここまで正ヒロインとして只野くんと相思相愛に描かれているのは古見さんの方で、たぶん恋愛の終わりまで描くなら、只野くんと最後にくっつくのも古見さんだろう。

 こんな圧倒的強ポジションに正ヒロインがいる場合のサブヒロインの扱いとして、万場木さんのあの描き方は…。

 これを残酷、と感じてしまうのは読者として先を見越した視点だけども、やっぱり残酷だ。切ない。そして、それでも、なんて丁寧にそれを描くんだろう、と嘆息してしまう。

 ラブコメあまり読まないからわからないけど、あれはそのジャンルとしてすごいことをやっているんじゃないのかしらん?

 

 まあ、作者の方の思惑はわからない。

 俺が勝手にのたうちまわっただけで、尾根峰さんのように「まあなるようになるんじゃね」っていうぐらいが、作った側として期待しているテンションなのかもしれないし、変に取り沙汰するのは見方がズレているかも。あと夏にエロ本探すエピソードとか普通に面白かったです。

 でも俺はえらいことになっている、と思ってしばらく思考が止まったぐらいだったなあ、という話。以上、よろしくお願いいたします。