豚コレラについて畜産ド素人が考えてみたことについて(アフリカ豚コレラと、やっぱりなぜワクチンを打たないのか編)

 前回、豚コレラの豚肉は食べても害はないが食べてはいけない話と、豚コレラワクチンを打たない理由について書いた。
 

イノシシについて

 なぜ豚コレラの話題でイノシシが出てくるかというと、野生のイノシシが病気を媒介する原因の一つになるからで、興味深い話があったので整理しておく。
 
 イノシシというと山に住んでいて、それが人界に降りてくるというイメージだけど、その考え方は少し修正がいるかもしれない。
 どういうことかというと、イノシシがいま生息しているのはガチの山と人の居住域の間の、里山というエリアだということに関係している。
 
 里山と聞くと、俺は漠然とした昔の日本の原風景、みたいな印象を抱くが、この場合は、山の中ではありながらかつては山仕事などで人の行き来があった、半分山で半分人界みたいな微妙な領域のことを指す。
 
 里山は、かつては人間の往来があり、利便性のために邪魔な木や茂みが取り払われていたため、獣にとってはむしろあまり快適ではない世界だった。
 それが、人が里山での営為から離れていったため、次第に密林化しはじめた。そのせいで、かつて山と人界の間でバッファの役割を果たしていた(元)里山までイノシシが進出することになってしまった。
 それでいま、イノシシは人里と直の距離のところで暮らしながら、病気を運ぶ原因として警戒されている。
 
 当初、豚の殺処分となぜまだ生きている豚を救うためにワクチンを打たないのか、というところが関心の中心だった俺にとって、イノシシの問題は意図せずぽっと出てきた感じだった。
 もちろん、野生の獣が人里に降りてきて悪さをする、といった報道はよく眼にしていたが、正直自分が興味のある問題とつながって始めてその存在にちゃんと気づいたというか、ああ、そういうつながり方をするのか、という実感があった体験だった。
 ここに書いておいたのはそういう次第です。
 

アフリカ豚コレラについて

 アフリカ豚コレラについてはわかったこととわからないことがある。
 
 アフリカ豚コレラは、いままで書いてきた豚コレラとは別の病気だ。豚の致死率は同様に高い。
 そして豚コレラと違い、アフリカ豚コレラにはワクチンがない。そのため、野生のイノシシとの隔離も含め、感染ルートを遮断することが一番の対策になる。
 ここまでが、わかったこと。
 
 ここからは、わからないこと。
 アフリカ豚コレラに関する情報で、はじめ「?」となったことがある。豚コレラのワクチンを打たない理由は、アフリカ豚コレラへの対策のためでもあるというものだ。
 
 2月13日、朝日新聞の記事だとその理由が少しわかりやすい。
農水省は「動物の養豚場への侵入を防ぐ網を設置するといった本来必要な農家の対策がおろそかになる」(幹部)としてワクチン使用を認めていない。中国では、ワクチンが効かないアフリカ豚コレラの感染が拡大している。ワクチンに頼らず、農家の対策の徹底を求めるのは、アフリカ豚コレラが国内に侵入した場合でも被害を最小限に食い止めるためだ。」
 
 つまり、ワクチンの存在しないアフリカ豚コレラに対する将来的な備えという意味で、現在直面している問題である豚コレラにも、ワクチンを使用しないであたる、ということだ。
 
 専門家に素人が意見するのもおかしいが、ここでは結局、「将来気を抜くといけないから」という気構えの問題しか語られていないように見える。
 将来(アフリカ豚コレラ)のために、いま(豚コレラ)はワクチンなしで乗り切る気持ちで臨もうや、という精神的な問題にまとめられているように感じる。
 しかし、農家の方の危機意識というのは、いまの問題が回避されれば今後のことはどうでもいい、といったレベルのものなのだろうか?
 また、そうやって危機感が薄れていく心配があるなら、それこそ行政指導で義務づけ、ハッパをかけていけばよいのではないか?
 というか、心構えの部分でどうにもならない問題の出現が、まさにいまのこの事態なのではないのか?
 
 俺は行政が市井の人間をバカにしているのを知っている。
 別に行政を批判しているわけではなく、そういう姿勢をとる妥当さを、ある程度理解している。行政が市民をバカにするのは、市民も行政をバカにしているからだ。
 行政の影響力というものは、大きいようでいて実際はそうでもないことがある。場合によっては、庶民は公務員やそこから下される要求を頭からナメくさっている。
 だから行政は、そうした言うことをきかない部分を勘定に入れて市民に指導をしていかなくてはいけないし、ときにはそれが、表面上は乱暴で居丈高な命令になることも理解できる。
 
 もしも農林水産省や識者の判断がもしもそういう考えに根ざしていて、そのうえで将来を見越してこの件は精神論第一主義であたれと言うなら、公平に言って、わからなくはない。
 わからなくはないが、人の口に入るはずだった家畜が、ワクチンを打てば殺処分せずに済んだかもしれない命がどんどん廃棄されていて、やっぱりこれは今後がどうとか、ましてや気持ちがゆるむとか、そういう問題ではないのでは、という気がすごくする。
 
 もちろん行政にも言い分はあるだろう。諸々のコストやリスクを比較したうえで、ワクチンを打つべきではないと判断しているのだろう。
そこはそうなのだと思う。思うのだが…
 

結局俺はどうしたらいいんだ…

 なんだか、どうしてもワクチンを使いたくない秘密の理由でもあるんじゃないか、と勘ぐってしまう。
 
 豚コレラ清浄国への復帰を果たすルート3つのうち、日本は①の、ワクチンを使わないで最終発生から3ヶ月経過する、の道を選んだ(前回の記事参照)。
 一方、ルート②について確認しておくと、これは「ワクチンを使用し、ワクチンを接種した豚はすべて殺処分し、最終発生から3ヶ月経過する」というものである。
 
 注意が必要なのは、日本はルート①に豚の殺処分を組み合わせて行っているところである。
 ルート①には殺処分に関する決まりはない。つまり、ルート①には豚を殺さなくてもよいという利点が本来あるはずなのだが、それを放棄している。
 
 ルート①+殺処分という組み合わせとルート②を比較すると、違いはワクチンを接種するかどうかという点しかない(ですよね?)。そして日本は、ルート②ではなく①を選び、その上で、強制ではないはずの殺処分を行っている。
 
 もちろんワクチンを接種するのにもコストはかかる。豚の頭数を考えれば膨大な時間と手間がかかるだろう。
 また、いわゆる生ワクチンを使用した場合、それがかえって感染源となる可能性がある、とする情報も見つかった。
 これらは大きなコストであり、もしも新たな感染を招くなら重大なリスクでもある。
 ただし少なくとも、ワクチン接種が病気の拡大を反対に招く可能性について、農林水産省は言明していない(はず…)。
 
 こうなると俺は、行政から「様々なコストを考慮し、○○の点を特に重要視した結果、ワクチンは使わないことにしました。その上で②③のルートを棄却し、①と殺処分を組み合わせることで清浄国に復帰をはかることにしました」という明言が欲しい。
 農林水産省のホームページには「ワクチン接種のデメリット」「基本的なQ&A」「豚コレラの防疫措置対応」と題するPDFがあり、これらをすり合わせれば、漠然と、行政の方向性はわかる気がする。
 逆に言えばわかる気がするだけであり、言葉ではなく、行政の行動からその意図を汲まざるを得ない部分が多すぎる。
 なんだか、何かワクチンを使いたくない理由でもあるんだろうか、と思えてしまう。
 
 当然、そんな秘密の理由などないんだろう。
 畜産のド素人にはわからないかたちで、ちゃんと言っているのに俺が理解できていない可能性も大いにある。
 でも俺も、誰かが育てて誰かが屠殺した豚肉を食べて暮らしている。だからちゃんとバカな門外漢にもわかるように説明してくれよ、と思う。
 
 生きているものを殺してそれを食べる。そのこと自体、ときどき悩ましい。
 それが、病気の蔓延によって、口にはいることさえないかたちで大量に(まさに「量」だ。もう命扱いではない)処分されている。
 どうすればいいんだ、と思う。俺なんかがどうにかしようがないが、そういう言葉にしかならない。
 
 しかし、問題を調べていくうちにそれは経済の問題になり、政治の問題にもなり、最初は命をめぐる問題だったのが複雑に枝分かれするたび、はじめに持っていた生き物への気持ちとか畜産家への想像とかがどんどん空疎になっていくようで、それがとても嫌だった。
 
 もちろん、政治経済の観点を抜きにして語るべきでないことはわかる。だからせめて、できるだけ、今後この件の報道に触れるたび、根本的には命をいただくことについての問題であることを覚えておきたい。
 
 以上、よろしくお願いいたします。