10月19日について②

 深更に襲来し俺のテントを水煙のるつぼに変え周囲を湿原にしてしまった雨は、朝になるとともに徐々に弱まり始めた。
 コンビニに買い出しに行った後、テントに戻った俺は、カップラーメンと残ったスープに五目おにぎりをぶち込んで汁ごと喰うという悪魔のような食い物を咀嚼しながら、その様子を眺めていた。
 ちなみにカップラーメンは『蜂屋』というお店のラーメンをモデルにしたものだった。美味かったので紹介しておく。
 
 雨は午前8時頃に完全に止んだ。雨粒を乗せながら荒れていた風は、そのまま雨雲をどこかに流し去り、やがて、青い晴れ間が空に広がっていく。
 日差しが熱いぐらいだった。テントから出た俺はそのままテントを解体すると、靴下を脱ぎ、トレーナーを脱ぎ、ランニングにベージュのパンツという裸の大将のような格好のまま、しばらく呆然と、唐突にあたりを照らし始めた太陽で体を温めていた。
 気温が上がったのを感じ取ったのか、昆虫があたりを飛び回り始めた。
 キャンプや釣りができる場所なのでどこかにゴミでも投棄されているのか、蠅が多い気がする。
 
 たぶん人が聞くと奇異に思うだろうけど、蠅という生き物が嫌いではない。
 いや、うっとうしいし不潔だし嫌いなのだが、近くに留まっていたりするとじっと観察してしまう。装甲のような複雑な背中を持つものや、紋様めいた何かが描かれているもの、キラキラ輝いているものまで、見ていて飽きない。
 そのとき芝生の上に一瞬留まったキンバエも美しい生き物だった。その体の緑色は鉱石のような光沢を持っているが、よく見てみると、全体は緑でも、生物的としか言いようのない微妙なグラデーションが隠れている。
 眼は乾かした果物の種のような深みのあるえんじ色で、キラキラの背中との対照がすごい。そんな驚くような現象が自分の身に起きているとはつゆ知らず、蠅はやがてどこかに飛んでいった。
 
 持ってきた本は雨にやられ、なんだか年季の入ったかたちに変貌してしまっていた。表紙のインクがにじみ、心なしぶわぶわと膨らんだそれを読みながら、コーヒーを煎れ、スナック菓子をかじり、また小説に戻る。
 目を上げると赤トンボがたくさん飛んでいた。あるものはつがいをつくり、あの記号のようなかたちになっている。そして、今朝の雨でできた、やがて干上がって消えてしまう水たまりに、一生懸命卵を産み落としていた。
 俺は小説を開き、数ページ読んでやがて閉じ、また開くのを繰り返した。本を閉じると、眼は自然とトンボたちを追いかけていた。
 俺のテントに迷い込んでから半死のようになっていたあの蠅はどうしただろう、とふと思った。どこかで生きているといいんだが。
 いつしか俺は本を開くのをやめて、ただ、トンボの産卵をしばらく眺めていた。
 
 以上、よろしくお願いいたします。