善悪がいい加減でよろしい『呪術廻戦』8・9巻の感想について

ネタバレ含みます。注意。


  相変わらず回転がはえーな、と。
  前巻からの呪胎九相図vs.悠仁・野薔薇のタッグマッチが決着、と思ったら一年トリオ三人がいきなり1級呪術師候補に。
  勝手に、今後→2級 →1級とこつこつ登っていく過程が描かれる、そこがストーリーの一つの軸になる…と思っていたら…。あれ? 作者さんの中では昇級とか実はどうでもいい? な感じで、一瞬混乱する。

  ただ、狙ってやっているのかどうなのか、段位に象徴されるようないかにも少年マンガ的なシステムを、登場させた上で高速で回して消化していくところが、俺が『呪術廻戦』を評価している大きな理由なので、それならそれでOK。むしろ良い。


  で、舞台は一転して過去編に。
  五条と夏油に何があったのか。
  五条はいかにして最強の術師となり、夏油はなぜ闇堕ちしたのか。
  読者が気になっていたこうした過去がついに明かされるのだが、こちらもめちゃくちゃ展開が早い。


  五条と夏油が共同であたったとある任務が描かれるのだが、ここに、間違いなく物語のキーパーソンである、伏黒くんの父親が前振りなく敵役で登場。
  あまりにしれっと出てきて驚く。ハンタの会長選挙編でジンがポッと出てきたときも「え、そんな登場?」とかなり衝撃だったが、それに勝るとも劣らない。
  伏黒父のキャラ設定は、呪術が使用できない代わりにステータスは身体能力に全振り、高性能な呪具を装備して挑んでくるスタイル。まあ異能バトルものなら特殊能力なしで戦うキャラの登場はお約束だけど、それをここに当ててくるか、という。


  伏黒父の前に若い頃の五条、夏油(闇堕ち前)と相次いで敗北、と思ったら五条が覚醒して復活し、リベンジマッチで伏黒父に完勝する。
  しかし、二人が請け負っていた任務的には失敗してしまっており、これをきっかけに夏油は「呪詛師」に堕ちてしまうのだった。


  よくもまあ、これだけの連戦を2巻分のスペースに詰め込んだな、と思うんだけど、それは、戦闘マンガの暗黙の了解である「ターン制」が短いからでもある。


  ターン制とは何か。
  基本的に相手の攻勢から始まったのが、
→相手の攻撃パターンを解読、手番がこちらに回り、反撃に転じる(ターンが1巡)
→相手が本気になるなどして、再び相手の手番に
→それをなんとかして見切って再反撃、こちらの勝利(ターンが2巡)
…というのが戦闘マンガにおけるターン制で、多い場合はこれが3〜4巡、しかも手番が移るまでに何週もかかったりする。
  一方、『呪術廻戦』の場合はこれがせいぜい2巡。
  伏黒父vs.覚醒五条のリベンジマッチという大一番に至っては、実質五条が初手で奪った優勢から力業で押し切ってしまうので、1巡さえしていない。早いわけなのだ。


  これだけ高速で物語が動いていて、しっかりした読後感がちゃんとあるな、と満足・感心する。
  その一因かな、と思うのが、記事の題名にも書いたとおり、作中の善悪がいい加減なところである。

 

  前巻(7巻)を読んだときに、俺は半分冗談で「これもう呪霊じゃなくて野薔薇が悪役じゃん」と思った。
  しかし、8・9巻ときてそれもあながち間違いでなかったようで、敵を殺めてしまったあとの悠仁と野薔薇の戦闘後は、正義を果たした清々しさとは程遠い。
  ボスキャラで登場した伏黒父も、悪というよりはビジネスライクな人物。むしろ味方サイドの方が、ある意味おかしくないか? と思わせる部分もある。


  特に印象的だったのは、伏黒父を倒した直後の五条と夏油の会話。
  五条は、(事情はあれど)一般人を自分の能力で殺しても別にかまわない、と言ってのける。
  それは呪術師としての大義に反するからやめろ、という夏油の言葉で殺戮は決行されなかったが、この時点の五条は少なくとも「善」ではないし、なんなら悪になってもおかしくなかった。
  このとき呪術師の存在意義を説いた夏油が、後に一般人の全滅こそ自分の使命だと思うに至ること、善悪などどうでもよかった五条がかろうじて「イイモノ」の方にとどまったのは面白い。
  間違いなく作品のテーマの一つが倫理観なのに、一方で、善悪の境界がぼやぼやしているところ。
  敵味方の陣営が、単なる巡り合わせによっていまのかたちに分かれているに過ぎないところ。
  それが、この漫画がすさまじい速度で進行とショートカットを繰り返しながらも、読んでいて充実感のある理由じゃないかな、と思う。どうでしょう。


  9巻終盤で舞台は再び現代へ。味方内に、夏油陣営への内通者がいるみたいです。以上、よろしくお願いいたします。