2月14日について

 心の具合がよくないので、せめて体ぐらいは健康でいようと、サウナに通っている。

 向かう電車の中で、『CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見』という本を読んでいた。
 細菌は自分に害をなすウィルスを迎撃するために、ウィルスのDNAを特定してそれを破壊する「CRISPR(クリスパー)-casシステム」という仕組みを備えている。
 この「DNAの識別→攻撃」という仕組みに科学者が注目し、「攻撃」を「改変」に軌道修正することで、将来的には農作物や家畜の遺伝子を改良したり、人間の遺伝病に対する治療にも生かせるのではないか、というのが本の主旨だ。


 遺伝子編集に関する技術自体はCRISPR-casシステムの研究が深まる以前から存在したらしいが、このシステムはそれらよりはるかに簡単で、高校生でさえ扱えるものだという。
 そして、難病の代名詞である癌を根治させるポテンシャルを持ち、DNAという生命の設計図に干渉することで、人間という存在そのものを変えてしまう可能性さえあるようだ(もちろん、そこには倫理的な問題が発生することも、著者は触れている)。


 おいおいすげーな、と思いながら読む。
 もちろんいまのところ癌が完全に克服された気配はなく、また、こんな記事もネットにはあるので、研究が本当に実を結んだわけではなさそうだが、とにかく、「人間ってのはここまで来たのか」感がある。


 でも、と言うかじゃあ、と言うか、ここまで来た人間は、これからどこに行くんだろう?

 

 病気にならない方がそりゃ幸せだし、前にもこんな記事を書いたわけだから、こうして世界は平穏にまた近づくのだろう。
 でも、その行き着いた世界で暮らしている人間の光景が、俺にはあまり上手く描けない。
 単に想像力がないだけかもしれないし、未来の世界が無理でもいまの世界ならわかるのか? と言われたらそれもわからないのだが。


 そうだ、つまり、俺は世界のことがわからないのだ。俺がいま暮らしているこの世界のことも、いつか訪れる未来の世界のことも。


 サウナがある風呂屋の前まで来たら、ビルの1階をくり抜いた屋内駐車場の前に、警官が二人立っていた。
 なんだろう、と思って中を覗き込んだら、椅子に老齢の女性が一人座り込んでいて、それに、もう一人別の若い女性が何か声をかけていた。
 椅子に座った老人は、感情のうまく見つからない表情を浮かべながら、手にはビニール袋を下げていた。
 その姿は、なんというか、「てるてる坊主」を思わせた。
 物体をヒトガタにくくっていい加減に布切れを被せた何か、残酷な言い方になるが、俺たちが普段、実はかなり苦労して繕っている人間のかたちを半分放棄してしまったような、かろうじて保っているような、そんな雰囲気があった。
 痴呆かな、徘徊かな。お巡りさんの一人が無線でどこかとやり取りをしていて、「うんちを持っちゃってるみたいで…」というのが聞こえた。老人が手にしていた白いビニール袋が脳裏に浮かんだ。


 俺には世界と人間のことがわからない。
 世界と人間の、いまも、未来も、どうあるべきかわからない。
 何が幸せで何はなくなるべきで、何がどうなれば救われたことになるんだろうか。
どういう技術がもたらされたら、それでこの世界と人間がどうなれば、それがなんなのだろうか。


 以上、よろしくお願いします。