俺には子供がいないが、自分の血を受けたこの小さいものが側にいるというのが、どういうことなのか、ときどき考えてみることがある。
俺がそいつを色々なところに連れて行くとき、そいつは俺の後ろから一生懸命についてくるのか、目の前の世界に誘われて俺を追い越して駆けていってしばらく呆然としてから俺の方に振り返るのか。
わからないが、そのときの子供の顔を想像すると無性に泣きたくなってしまう。
俺は父親が嫌いだ。
俺は30過ぎて実家にいてそれもどうかしているのかもしれないし、それで父親をどうこう言うのも異常かもしれないが、とにかく嫌いだ。
本も映画も俺とまるで趣味が合わない、その違いが際立っているところも、どこか自堕落で時間を無為に潰し続ける、そんな俺と同じところも、嫌っている。憎んでいると言っていい。
家にいるときの父親は、たいていテレビを観ている。本当に一日中観ている。
家の前に野放しにされた犬のクソといい勝負の情報番組やバラエティだ。ゲロを水で薄めてこね回したみたいなその代物を観ながら酒を飲んで、居間のソファで寝てしまう。
0時間際に起き出し、ぶつぶつ言いながら自分の部屋に戻る。それを毎日繰り返す。毎日。毎日毎日…
家で他にやることねえのかよ、と思う俺も自堕落さではいい勝負で、他にやらなきゃならないことは山のようにあるのに、家にいると怠けて何もできない。しかたなく表に出て作業や勉強をする。
情けない、怠惰でグズな俺。俺の苛立ちは自分に向かったあと外側に溢れ出て、自分と同じ姿の父親に吸い寄せられたあと、俺と親父の間を反射し続けながら鋭くなっていく。
俺は父親を憎んでいる。そして、そのことに苦しんでもいる。
俺がいつか俺の子供(想像の存在だが)をどこか遠くに連れて行って、そいつが俺の顔を見上げるとき、俺はそのときのことを考えて、いまこの瞬間に泣きそうになる。
その子の思っていることがわかるから。「こんな色んな場所を知っているお父さんはすごいな」とそいつはきっと思っているから。俺も昔そう思っていたから。
父親に、俺は色んな場所に連れて行ってもらった。
それはなぜか、雨や雪、闇の思い出と結びついている。
どこだかもわからない雪の街で、天候はすでに落ち着いていたが、路面に厚く積もった雪が小さかった俺には難敵で、ふうふう息を吐きながら父親と一緒に懸命に歩いたこと。
雨の夜、車の助手席に座ってどこかの街道を走ったこと。道はいくらか混み合っていて、俺は退屈でうとうとしかけていて、ふと目を開けたときに、雨に濡れたウィンドウに周りの車の明かりと路面店のネオンが色とりどりににじんで美しかったこと。
小学生の夏のある日、最寄り駅を反対側にまたいだ公園の樹に蜜を塗った後、早朝一緒にカブトムシが来るか観に行ったこと。
山にも海にも連れて行ってもらった。俺は父親を尊敬していた。そして今でもしている。憎みながら。
どこの家でも父親というのはそんなものだろうか。それを横目で見ながら、痛いような軽蔑を覚える俺は異常だろうか。
俺は父親をいつか受け入れることができるんだろうか(それよりも家を出た方が良さそうだが)。
たぶん、子供を持てば俺は父親のことを受け入れられるんだと思う。ということは、どうもなかなか、望みは薄いということでもあるのだが。
以上、よろしくお願いいたします。