惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

国分拓『ガリンペイロ』の感想について

はじめに

 作者買い、と言ってよいと思う。書店の店頭で本の表紙と書き手の名前を目にしたときには早くも「買い」だと考えていた。
 2016年、NHKスペシャル 大アマゾン 最後の秘境 第2集『ガリンペイロ 黄金を求める男たち』を観たときの印象を割と鮮明に覚えている。アマゾンの奥地に政府の管轄から外れた非合法の金鉱があり、一攫千金を狙う夢追い人から前科者のアウトローまでが集まって、「黄金の悪魔」と通称される強大な支配者の元で金を掘っている。彼らは「ガリンペイロ」と呼ばれている…という内容だった。
 採掘の現場は非常に猥雑な世界だ。常に暴力の匂いが立ち込めており、売春婦ともあけすけにセックスが行われている。しかし、観ていてなぜか記憶に残ったのは、生命の躍動とは真逆の、ある種の虚しさのようなものだった。きわめてスリリングな題材を扱っており、実際、常に緊張感に包まれているのだが、どこか抑揚を欠いているというか、人肌の体温にさえわずかに届かない冷ややかさのようなものを感じさせるドキュメンタリーだったのを覚えている。
 

感想

 まず注意が必要なポイントとして、この本はあくまで、ドキュメンタリーの『ガリンペイロ』を下敷きにした創作、フィクションである*1。この辺は本の装丁からは何やらわかりにくく、国分氏の取材記録としての文章を期待して読み始めて「あれ?」となってしまったので、苦情を言っておく。
 ただ、創作ではあるものの国分氏の生の感情を感じさせる部分もあった。そのことは後で言及することにする。
 
 ラップ小僧やマカク(猿)、「黄金の悪魔」まで、番組で放送された人物たちが本の中にも登場し、フィクションである点を生かして、その内面にまで踏み込んでいく。そこで描写されているのは、テレビ放送のときと同じくある種の虚しさだ。無数の男たちが金塊を掘り出すために匂い立つような生命力を発散させているにも関わらず、この地を最も強く支配しているのは実は虚しさであり、その事実が執拗に描かれている。
 
 金鉱はなぜ虚しさに覆われているのだろうか。金の取り分が、元締めである「黄金の悪魔」にあまりに有利に定められているからだろうか。掘り出した額面の7割を「黄金の悪魔」が取り、残りの3割を鉱員の頭数で分割することになっており、よく考えれば(考えなくても?)不平等という言葉でさえはるかにかすむような契約と言える。
 あるいは、根本的に採掘でひと山当てる可能性があまりに低すぎるからだろうか。一攫千金を夢見て金鉱にやってくる者が多数いるにも関わらず、人生を丸ごと逆転するような「一発」はほぼ伝説にしか存在せず、採掘場には大金をつかめないまま齢だけ重ねてしまった老人たちが大勢いる。中には、そのまま密林で人生を終えてしまった者の墓さえある。そういうことだろうか。
 
 ただ、俺は一番大きな理由は別のところにあるような気もする。そもそも、金鉱にやってくる連中のほとんどにおいて、「もし大金を得たらどうするつもりか」というビジョンが決定的に欠落しているのだ。それが、拭いされない虚しさの最も大きな原因であると思う。
 ガリンペイロの中には、離れた地で暮らす家族を養うために金を掘るという明確な目的意識を持つ者もいる。しかし、大半の男はそうではなく、ただ漠然と、「デカい一発を当てて人生を変える」ために金鉱にやってくる。大金によって何がどう変わるのかまでは考えていない。ただこの場所に来さえすればチャンスがつかめる、自分こそがその幸運に恵まれると信じている(そして、何事も起きないままずるずると年老いていく)。その薄っぺらさと、ここにいるほぼ全員がそのことに自分でもなんとなく気がついていること、それこそが虚しさの多勢を占めているのではないか。
 
 国分氏が描きたかったのは、金鉱が表層上、エネルギッシュで猥雑であるほど、対照的に鮮明になっていくこの虚しさだったのだと思う。そして、それを映像だけではなく文字として自分自身に咀嚼するために、氏は筆を取っていると思う。ここにフィクションでありながら国分氏本人の存在を強く感じる。
 思い返すと、氏の「作品」である『ヤノマミ』もテレビ放送のあとに文章化という経路をたどったコンテンツだった(これがどっちも激烈に良かったので今回も買ったのだ)。『ヤノマミ』の書籍版を読んだときも、たぶん個人の体験としてあまりに強烈すぎて、映像の編集だけではなくて文字化しないと自我のどこに配置したらいいかわかんなくなったんだろうな…という、戦慄と同情のような感想を抱いた。『ガリンペイロ』もたぶん同じで、あの空間を覆い尽くしていた虚しさを飲み込むために、国分氏は自らに向けて文章にする必要を感じたのだと思う。
 
 一点、踏み込むならば、『ガリンペイロ』の虚しさが国分氏を、そして読者(俺)を強烈に打ちのめすのは、その虚しさが覆わんとする範囲が、南米の最果てから伸びて、広く世界全体まで及ぶのではないか、と錯覚させるからだと思う。
 我々が自分にもはっきりしない期待や、過大な自尊心に突き動かされて故郷を離れたものの、何も成し遂げられないまま老いていき(国分さん自身は十分な仕事をしているけど)、絶望の中で朽ち果てていくこと。…ガリンペイロたちとその他の人間とで環境はまるで違うし、俺だってアマゾンの奥地で金を掘ろうとは思わないが、彼らが抱いていた希望とその背後に潜む恐怖には覚えがあるし、似たようなことは世界中で起きているだろう。まあ、そんなことを思ったのだ。
 これは買ってよかった本。国分さん、いつかまたこの世界の(文明上の)暗部まで行って、つらい目に遭ってきてね、その話を聞かせてね…ってのはひどいのかな。以上、よろしくお願いいたします。
 
ガリンペイロ

ガリンペイロ

 

 

*1: 発行元の新潮社によると「ノンフィクション」だそうです。取材できる部分を超えて各人の心理に踏み込んでいるように見えたのでフィクションと表記したのですが、失礼しました。