惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

『魔王: 奸智と暴力のサイバー犯罪帝国を築いた男』の感想について

はじめに

 原題である「mastermind」は、本来、黒幕だとか首謀者だとかいうぐらいの意味である。

 そう考えると、「魔王」という邦題は大見得を切りすぎな感もあるが、最後まで読み通すとなんとなく腑に落ちるところもある。本書は作品の類型で言えばドキュメンタリーであり、あくまで一つの記録に過ぎない。しかし同時に、一人の人間の犯罪活動を通じて、世界というとらえどころのないものの真実を切り出すことに、かなりの精度で成功している…そう思わせる作品でもある。

 

感想

 ポール・コールダー・ルルーという男がいた。ポールはプログラマーであり、それも超ド級の凄腕だった。

 彼はアメリカ国家安全保障局NSA)でさえ突破できない強力な暗号ソフトの下敷きを開発したほか、アメリカ中の薬局と医師、物流業者をインターネット上でバイパスして中毒性の観点からグレーゾーンにある薬品を大量に流通させる仕組みを整備し、膨大な利益をたたき出した。そして、手にした利益を元手にして今度は国際的な麻薬の製造にも着手するほか、私兵を組織してソマリアの海賊と渡り合ったり、アフリカでクーデターを起こそうとしたり、といった具合に順当に「事業」を拡大していく。

 

 読んでいて印象的だったのは、事業を拡大していくポールに、熱狂というか、異常な尊大さに陥っていく、という感じがあまり見受けられないところだ。ポールは自らの内なる悪徳をコントロールできずに破滅していく『マクベス』のような悪漢とは対照的で、手がけるビジネスは果てしなく拡大していくのに、どこかで妙に冷めているように見える。

 ポールにとっての犯罪は、おそらく、コンピュータ上のプログラミングと感覚的にあまり違わなかったのではないか。俺はプログラマ―ではないので、色々な点で想像でしかないのだが、そこにあるのはロジックと実行、いくらかの期待だけであり、ポールは淡々と、自分の頭の中にある論理的思考を現実の世界に落とし込んでいっただけ、それがこの世に実際に何を巻き起こすかを観察していただけのようにも見える。

 そういう人格のせいか、物語の後半で彼は思いもよらない行動に出ることになる…のだが、それはいったん脇に置くとして、ここに生まれたのは、ポールによる支配と同時に、ポール自身でさえシステムの一部=コマでしかないという変テコで矛盾した状況である。もしかすると、支配者(魔王)というのは、ケタ外れに有能であるだけでなく、逆説的に、自らを超える巨大なシステムを構築して始動させた者に与えられる称号なのかもしれなかった。

 

 あらためて、『魔王』は二つの意味で複雑な本だ。スリリングで、娯楽としてものすごく面白いが、読み進めるのは非常に骨が折れる。

 一つ目の理由は、あらすじが猛烈に入り組んでいることだ。「魔王」ポールでさえ数ある中心人物の一人に過ぎず、彼を追う捜査官や司法関係者、ポールの取り巻き、作者であるエヴァン・ラトリフ本人など、無数の登場人物が紹介され、視点があちこちに飛んでいく。

 こうしたキャラクターの多さから、二つ目の複雑さが生まれてくる。つまり、登場する人たちみんな、考えていること、目指していることがてんでバラバラなので、一体誰が「良いモノ」で誰が「悪モノ」なんだかよくわからないのだ。

 

 さすがにそれぐらいわかるだろう、ポールとその一派である犯罪者一味が悪者で、それを追う捜査側が善人だろう、と言いたくなるが、そう簡単でもない。

 ここで、上述したポールの驚くべき行動について触れることにするが、これまでの悪行が白日にさらされ終盤で逮捕されたポールは、なんと司法の側について、自分の仲間を裏切って組織の解体が促進されるのに協力し始めるのだ。

 この貢献を通じて、あわよくば自分の心証を改善してやろう、という思惑がそれほど感じられないのがポール・コールダー・ルルーという人物の異常なところで、彼にとってはかつての仲間を捕まえることに協力するという判断でさえ、「論理的思考を現実に反映させる実験」としか認識していないように映る。

 一方、捜査する側も目的意識はばらばらで、協力に転じたポールを除く、彼の部下を検挙することが大事だ、という派閥もあれば、あくまでポール自身を罰することが重要だ、というグループもある。そういうわけで、善も悪も各々まったく一枚岩ではなく、ポールの犯罪を契機に集まった様々な人物が、好き勝手に自分の合理的だと信じる判断に従って行動している状態になってしまうのだった。

 

 『魔王』というタイトルについて、あらためて、こんなことを考えてみる。

 もし、この世を本気でめちゃめちゃにしてやりたい者がいるとしたら、そいつがもっとも望んでいることは何だろうか。

 大勢の人間を麻薬漬けにすることだろうか。

 膨大な数の人間を殺して世界を恐怖に陥れることだろうか。

 それらも、もちろん「魔王」の願いではあるだろうが、一番の望みはたぶん、自分以外の人間たちがばらばらになり連帯できなくなること、相互に不信を抱き、あらゆる共同体が破綻していくことではないだろうか。

 そういう意味で、ポール・コールダー・ルルーは正しく「魔王」だった。ポールをいかに罰するか、あるいは彼が収監された後の巻き添えからいかに逃れるかをめぐって、あらゆる関係者が結託という判断に失敗したように見えるからだ。

 それが単なる混乱ではなく、個々の選択としてはこれが合理的で最善、と判断したうえで行動しているというところがさらに悲劇的で、まあ善も悪もどちらも、いかなる分断工作にも困惑せず鉄のような結束、というのも恐ろしいが、どうも世の中というのは基本的に、瓦解して分散していくベクトルの方が強いのかもな、ということを思った。

 

 犯罪ドキュメンタリーである『魔王』が、できごとの記録と並行して世界の真実でさえ描き出したんじゃねえか? というのは、こんな感想から抱いた実感だった。だから、ここに書いておく。2,700円というのは大層高額で財布が痛んだが、その価値はあるエンターテインメントだったと思う。以上、よろしくお願いいたします。