会話について

 職場に向かう途中の四つ辻にベビーカー、小さい男の子が乗っていて、お母さんらしき女性がその後ろに立ち止まってスマートフォンを見ている。道でも調べているのだろうか。

 男の子が身をぐいぐい乗り出し、自分の前方に指を示して「う。う」と言う。「行け、行け」と言うように。「ちょっと待っておくれ」と女性が言う。

 「待っておくれ」、いいね。「待ってて」よりもいい。

 

 良いコミュニケーションとは何か、意外とそのことについて考えたことがなくて、誰もわかってくれないと言いながら、結局どうにかなっているからそうなんだろう。

 ちゃんと定義してみると、お互いの意思疎通ができていること、もしくはそこに違和感を生じさせないこと、ということになるだろうか。肝心なところはお互いの、という部分で、相手には自分の伝えたいことがまるで理解できていないようだが良いコミュニケーションが取れた、というのはあり得ない。

 

 しかし、あの女性の「待っておくれ」のニュアンスは果たして小さい子どもに伝わっただろうか。たぶん無理だろうと思う。

 というか、俺にも上手く言葉にできない。よく聞く「待ってて」よりも、相手の「おい、止まってないでずんずん行こうぜ」という姿勢をいったんやわらかく受け止めて、かつ余裕のある感じがする、という具合だが、おそらく幼児には違いがわからない。

 こうして考えてみると、コミュニケーションというのは他者と交わすものであると同時に、自分自身に対しても発信するものだろう、という気がする。

 もちろん、自分の言いたいことを相手に伝えるのが第一義なのだが、その一方で、口を開く自分のためにより良いかたちを模索している部分もあるんじゃないか。

 「この場で少し止まるので我慢してください」というメッセージを伝えるのに、「待ってて」よりも「待っておくれ」の方がいい。ファニーだ。例え聞いてる側にその違いがわからなくっても、口にする側はその方がいい、というようなことを思った。