惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

俺たちは何年クリエイティブに寿司を握れるか、について ①

今週のお題「寿司」

 

 と言いながら、まあ寿司自体にはよくて数%、世の中の何か実態みたいなものには、0.1%ぐらいかすっていたらラッキー、みたいな話なんですが。

 

 何年か前、実業家の堀江貴文氏いわく「寿司の修行に何年もかける必要はない」という主張があって話題になった記憶がある。寿司を握る技術だけなら数ヶ月あれば身につくという話も聞く。

 なんでこんな話をしているかというと、『欲望の資本主義』という本(NHKでドキュメンタリーにもなりましたね)を読んでいて、ダニエル・コーエンというフランスの経済学者による言説に触れて思い出したのである。

 それは、情報技術やAIの発達によって世の中に何が起きるかをコーエンが語っているときのことだった。

 人間の仕事で定型化可能なもの、いわゆるルーチンワークは機械によって置き換えることが可能、と彼は言う。ここまではよく耳にする内容だが、コーエンによればそのターゲットは高等教育が必要な内容であるか、専門的であるかを問わないらしく、例えばデイトレーダーなど特殊な知識が必要な職業であっても、そこで発生するプロセスがルーチンとして表せるものであれば、AIによって代替できてしまうそうだ。

 実際、機械による株式や外貨の売買はすでに実用化されており、多少知識がある程度の人間の判断力では到底太刀打ちできない、という話を聞いたことがある。

 より面白いのはここからだ。

 AIの躍進によって将来、ルーチンワークに従事している現在の中産階級が大量に仕事を追われると、その時点でベーシックインカムなどの制度が整備されていない限り、彼らは新しい仕事を探さなければいけないのだが、その世界で彼らが給金の代わりとして社会に差し出すものは、旧世界のような手順の確立された労働・単純な体力ではなく、むしろ創造力をフルに駆使して、既存のものを革新していくことを要求されるのだという。

 つまり、新世界においては「すでに手順が整備されている作業」は高度かどうかは関係なくすべて機械によって占有されているため、人間が参入する余地はなくなっている。消去法的に、人が何かの役割を果たして対価を得ようとすれば、創造性を発揮して旧来のものを革新し、未知の何か(領域・手法・表現…)を開拓する以外なくなってしまう、というロジックだ。

 まるで、人類総芸術家時代と言える。

 チャップリンの『モダンタイムズ』がそうだったように、テクノロジーの発達に伴って人間からは自主性が損なわれていく、というイメージもあるが(エンジニアの目線では逆でしょうけど)、反対に、機械によって人間がクリエイティビティの世界に「追いやられる」という可能性もあって、面白い発想だと思う(次回に続く)。