惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

俺たちは何年クリエイティブに寿司を握れるか、について ③

今週のお題「寿司」

 

sanjou.hatenablog.jp

 実業家の堀江氏が以前語っていたところによると、従来は寿司職人になるのに10年間の下積み期間が必要とされていたが、寿司を握る技量を身につけるのに、本来はそんなに長い時間はいらないのだ、と。

 一方、まったく別の場面で経済学者ダニエル・コーエンは、将来、情報科学の発達によってルーチン化できる作業はすべて機械によって代替されるため、人間に残された仕事は創造力を生かすものだけになる、と語った。

 コーエンによれると、やってくる未来では、後進を育成することを目的とする期間も消滅し、キャリアの全体を通じてフルに創造性を発揮する労働者であることを期待されるようになる。機械は人間を単純作業に追いやるのではなく、クリエイティビティの戦いに誘導する。

 

 仕事のプレイヤーとして参加している寿司職人が(これは半分暗喩でもあって、すべての労働者に当てはまるかもしれない)創造性を求められ、競い合う時代になるのは、消費者としては好ましいんじゃないか。

 最初はそう思えるが、お寿司を食べる機会がそんなに多いわけじゃないし、果たして本当に、「美味しい寿司」を安く、職場に大きな負担をかけない上で提供するように努力している「職人」が適切に競争を勝ち抜くのか、俺たちの市場はそう機能するのかはかなり疑問だ。

 実際はかなり難しいのではないか。

 結局、増加したプレイヤーの中で競争を有利に展開するには、広告などの領域に注力し、ライバルを押しのけた方が効率的なのではないか。新しい時代で期待される「創造性」はPRの方向に発揮され、消費者の利益にはつながってこないのでは…と、これが前回までに書いた話だ。

 

 広報活動を否定するわけではなく、どんな名店も周知がなければ消費者に選ばれることはないので、要素としては欠かせない。

 ただ、新しい時代で想定される変革は、このPRという活動を過剰に進めてしまうのではないか、という疑念がある。

 単純労働の解消と創造性の解放は、結局、資金力を背景とするPR合戦や軽薄な広告業界のハッキングに終わるのでは…と思うぐらいには、俺は世の中を信用していないが、じゃあ「お前、広告なしで目当てのお店や商品にたどり着ける自信があるか?」と言われると黙るしかない。

 

 話がおかしな方向に進みつつある。強引だけど、なんとかまとめてみよう。

 つまり、どこに落ち着くかわからんよな、ということだ。

 別に擁護するわけではないけど、寿司屋における10年間に及ぶ最初の修行が、ある種の「キャップ」としてプレイヤーの上限を制限し、業界から健全性と秩序が損なわれるのを防いでいたのでは?

 そんなことを考えてしまう。

 寿司屋に限らず、様々な業界における非効率な因習が競争市場への参加者を制限しており、一方で、現在の俺たちの世界にはプレイヤーが増加した場合の公正な競争を実現する方法が存在しないなら、果たして悪習は是正されるべきなのだろうか。

 

 もちろん、飲食の世界を知らない俺にはくわしいことはわからない。

 いまの寿司業界、あるいは飲食、もしくはこの世界全体は、どの程度正しく機能していて、本当はどのぐらい破壊されるべきなのだろうか。

 「よく知らねえけど下積み10年は長すぎんだろ」。そう思ったのも事実なのだ。まとまりがないけど、とにかくそういうことを考えた(やっぱり寿司屋と全然関係なくなった!)。