惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

狂った犬のように走ることについて

tonarinoyj.jp

 『ゴールデンカムイ』の最新話まで無料公開、というすさまじいキャンペーンが始まっている(9/17まで)。

 もちろん、これを契機にして最新の単行本を買ってくれれば、あるいはグッズを買ってくれれば、といった利益を見込んだうえでの判断だろうし、ネガティブな方向で考えれば、昨今データでの閲覧は違法のサイトでされてしまうから、どうせなら法的に正しくビジネスの中に取り込んでやろう、ということなのだろうけど、とんでもない時代になったと思う。

 

 「狂った犬のように走る」とは今回のキャンペーンに登場した惹句だが、そもそもは同じ作者の『スピナマラダ!』(超面白いです)で使用された表現だった。

 『スピナマラダ!』は6巻で打ち切られてしまったけど、クリエイターとして、その後も狂ったように疾走し続けていまのかたちがあるのだと思う。頭が下がるというか…そういうレベルさえ超えてるよな、というのが今日の話。

 

 いきなりだがバナナマンがけっこう好きだ。

 けっこう、というのは彼らのコントや映像作品ではなくて、『バナナムーン』という金曜日の深夜にやっているラジオ番組だけを愛聴しているからで、ファンとしてちょっとヘンテコな感じがするが、もう10年以上聴いている。

 今週の二人の話は、過去の傑作コントについて振り返りつつ思い出を語る、といった内容から始まった。バナナマンとして20代の頃はどこか狂気を帯びたような熱の中でコントの場数を踏んでいき、爆笑をさらいながら舞台上で実験を繰り返していた、という話だ。

 上で書いたとおり、俺はコント師としてのバナナマンにほとんど興味がなくて、かつ、「30代でようやく日の目を見た苦労人」というイメージを持っていたので、もっと若いころから演芸場では無敵であり求道者でもあった、と知って意外な気がした。

 別に、彼らの20代だって何の苦労もしていなかったなんて、間違っても思っていない。ただ、年齢を重ねて出てきた印象がある彼らが、俺の知らないところで勝って勝って勝ちまくり、他を圧倒し、ひととおりやりきって、そのときようやく俺という一人の消費者のところに「届いた」のだ、ということを遅れて理解したのだ。

 

 言うまでもなく、生きている人間はみんな頑張っている。

 子どもも頑張っているし、仕事から引退した老人も頑張っているし、言いたくはないが俺だって頑張っている。

 ただ、「誰かのところに届く人間」というのは、それとは完全に次元の違う常軌を逸したレベルで頑張っている。まさに、狂った犬のように。それは努力の絶対値という話でもあるし、努力と成果が完全に等価(勝たなければ意味がない)という世界観の話でもある。

 そりゃそうだろう、ってなもので、「要はお前が世間知らずなんじゃねえか」ということだしそれは合っているのだけど、たぶん彼らは本当にどうかしているのだ。狂っている。

 その狂気にも関わらず、彼らはあまりそれを見せてくれない。「ものすごくとても面白い人・才能」ぐらいな感じで世の中で説明され、なんなら消費されさえしている。なんだかそれも奇妙な話だな、という気もする。

 

 特にオチはない。

 書いたとおり、人間はみんな頑張っているので、誰もさらに狂ったように頑張り、勝利しなくてもいい。昔は、(漫画やコントじゃないにせよ)そういう仕事観・人生観がメジャーだった時代もあったのかもしれないが、すでに相対化されているし、さらに加速していくだろう。旧来の男性優位社会ともどこかで結びついている気もして、そういう点では、自然消滅という以上に廃れていくべき価値観かもしれない。

 でも、そうやって狂ったみたいに頑張れるの、本当はちょっと憧れるし、ズルいって気もするんだよな、とまったくそんなキャラクターじゃないはずの俺は、こっそり思ったりしてるんだ。実はね。

 

 以上、よろしくお願いいたします。