ヤクザと呪術師について ①

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 ある人が呪術師を名乗る者から「いま、お前に呪いをかけた」と言われた。

 その人は非科学的なことには興味がなかったが、そんなことを言われて、なんとなく嫌な気持ちになった。

 一年後、その人は重い病気を患った。

 はたして、呪いは本物だったのだろうか。

 

 科学的に未知の力が働いてこの人に病を運んだ、という意味で言えば「否」だろう。

 というより、不思議なエネルギーを持ち出す必要がないと言うべきか。この人が病気になったのは偶然かもしれないし、この人が「呪術師」に言われたことを気にしすぎて体調を崩してしまったのかもしれない。

 逆に言えば、ランダムな不幸や思い込みという次元では呪術は成立する。そして、おそらく一部の「呪術師」はそれを承知で、きわめて非・非科学的な領域で我々に呪いをかけているのだ。

 

呪いについて

 超自然的なエネルギーを除いて考えると、呪いとは、対象となる相手の思考に原「因」となるものを埋め、時間を経て、結「果」として認識させるシステムと定義できると思う。

 ちょっと長いか。ちぢめて表現すれば、主観的な因果というところだ。

 基本的には言葉を用いて因を埋め込むことが多いが(「死ぬぞ」「病気になるぞ」「悪いことが起きる」「不幸になる」…)、相手にとって思わせぶりなジェスチャーでもいい。要するに、これから嫌なことが発生するぞ、というメッセージが伝わればいい。

 そのすべてが成功するわけではないが、言われた相手が迷信深かったり、たまたま気持ちが落ち込んでいたりすると、後々、実際に悪い出来事があったときに、以前言われた予言とそのことを結びつけてしまう。

 もちろん、科学的ではない。しかし、主観的には立派に呪いが降りかかっている。

 弱点としては、呪いは不吉なメッセージとして伝わらなければ「因」が埋め込めないので、一部の対象には発動できないことだ。例えば、生まれたばかりの赤ちゃんには呪いがかけられない。当たり前だが、考えてみると面白い気がする。

 

呪術師について

 こうした、主観的な因果としての呪いを積極的に利用する者が「呪術師」である。

 今回のニュースで登場したヤクザの言動は(「生涯後悔するぞ」「東京の裁判官になってよかったね」)、内容が不透明でありながら不穏な響きがあって、彼らは一種の呪術師であると言えるかもしれない。

 何も、超自然的な結びつきばかりが呪いではないのだ。

 例えばこの言葉を投げられた法曹の方が、将来いやな経験をしたりトラブルに巻き込まれたりしたときに、あのときのヤクザの意志を受け継いだ何者かが嫌がらせをしているのでは、と疑念を抱いたとする。こうすれば、立派に呪いが発動していると言える。

 まあ、プロの裁判官、ましてや極刑を扱う人物のメンタルは、そう簡単に揺さぶられるほどヤワではないかもしれないが(②に続く)。