惨状と説教

誰か山から降りてきてほたえてから山に帰っていく記事。ブログ

2021年9月26日について

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 午前、歩いて15分ぐらいの距離の浜まで散歩に行く。

 天気はかすかに曇天。まだ海に入れる気温ということもあって、人出は割りと多い。

 しばらく海を見ていたが、立ったままでいるのが疲れてきたので腰を下ろし、その後肘を枕にして横になった。日光で温められた砂が気持ちいい。

 寝転がったまま、あらためて海を見てみたら、水平線が断崖と化して容赦なく墜落していた。みんなそこを平然と、切り立った地面に対して垂直に歩いていく。

 すごいな、重力。

 よく言われる話だが、視点を変えるだけで世界ががらっと様変わりしてしまう。

 宇宙には本当は上も下もないことがよくわかる。強いて言えば重力のある方が下ということになるんだろうけど、それは主観とは全然関係のないところで働いている。

 面白い、と思って横になったまま写真にしたのだが、よく考えたら、普通の姿勢で撮影してから90度左に倒せば同じことなのだな。

 賢くなくてイヤになるが、まあそういう、ただ回転させたわけじゃなくて、撮る側の身体的な実体験が含まれた写真として見てください。

 

 昼過ぎ、どうも睡魔に勝てなくてしばらく横になった。

 薄い意識の合間で弱い雨が降る音を聴いていた。洗濯物を取り込んでおいてよかったな、と思う。

 

 16時ごろ、起きて街に散歩に出る。雨は上がっていた。

 まだ9月、太陽が照っているときの日中の気温は盛夏に劣らないけれど、一度雨が降った後ははっきりと冷え込むのがわかる。

 市街には誰もいなかった。

 ああ、ひとりぽっちだな、と思った。

 冷えるような空気とか季節の匂いみたいなものでそう感じた。

 俺はひとりぽっちだ。

 子どものころ、特に秋の夕方なんかにそう思うことがあった。友だちだっていたけれど(少ないが)、それとは関係なくひとりぽっちだった。

 その感覚は、幼少期の特有な何かしらの感覚器が世界の波長をキャッチしたものなのか、もしくは、両親共働きで夜まで家に一人で、熱中できる興味も何もなくて、って個人の環境が作る複合的な織り物なのか。

 なんにせよ、齢を重ねたらなくなるものかと思ってたけど、全然消失しなかったな。

 そこまで不愉快な感覚じゃないけど、すかすかの骨になった気分だから、40、50になってもこれだと苦しいなあ、と思った。

 

 っていうか、鋭い人にはわかると思うけど、これっていくらかはナルシシズムなセンチメンタルなんだろう。

 でも、多くの人たちが普通に割りとこうなのだろうか。そうだとしたら、人って、けっこうしんどいよなあ、と思った。

 以上、よろしくお願いいたします。