浜辺を歩くことについて

 3.11のとき、たまたま海外にいた。

 宿泊先のホテルで、日本に何やらすさまじい災害が起きたことを知った。テレビをつけると、津波が濁った巨大な水塊となって、市街を押し流していく映像が流れていた。

 これを書くとたぶん怒られるだろうということを書く。

 おそらく空間として母国にいなかったことが、そのまま気持ちのチューニングが合わないことにつながっていて、あまり現実感がないまま、人がたくさん亡くなったらしい、ということを思った。

 滞在していた宿は島にあった。建物のあるエリアを出て少し歩くと海岸が広がっている。

 浜には貝殻がたくさん落ちていた。小指の爪より小さい、色とりどりの貝が、肉を綺麗に洗い流されてまばゆいほど散らばっていた。

 唐突だが、そのときはじめて、地球という星について意識した気がする。

 この星は大昔から無数に、文字通り数えきれないだけの生命の死が積もり重なってできているんだ、と思った。地球は命の星だが、死の星でもある。そう感じたのだった。

 

 いま住んでいるところにも歩いて近くに浜辺があって、よく散歩に行く。

 ここも、海岸に小さな貝殻がたくさん打ち上げられている。それを踏んで歩くのが好きだ。

 ぺきぺき、と足元で音がする。貝が砕けるかすかな感触を足の裏に感じる。

 それが今日、小さな蟹がそこをちょろちょろしているのを見つけた。

 生き物を踏んづけるのは嫌だな。もうできないな、と思った。

 

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