anond.hatelabo.jp 本題とはあまり関係がないが、フェミニズムでもエネルギー問題でも政治でも、議論が過熱しすぎていて(という認識自体、なじられるべき無関心なのかもしれないが)、論争の戦場に残っているのは体の縦横に向かい傷が無数に走った喧嘩上等の歴戦の勇士だけのイメージがあり、どちらの陣営に参加するにしても死を覚悟する必要があるな、と思って、率直に言うとめんどくせえな、と思ってしまう。
何かひと言口走っただけで命をとられそうなので、みんなもう少し、反対陣営であっても新参者には優しくしようぜ、と思うが、そうすると今度はトーンポリシングと批判されそうだ。
なんかもうしんどいなあ、という感じで、本当に自分の生き死にがかかっている問題だけに参加しようか、と思っているうちに、何に対しても関心がなくなったりする。困ったことだ。
anond.hatelabo.jp 気持ちはわかるが、そこまでするならもうやめたらいいのでは、とも思う。
自分のきらいなモノが視界に入るのが不愉快というよりは、「きらいなモノを話題にして、みんなが盛り上がっているのが不愉快」というのが正確なんだろう(俺は偏狭なのでそうである)。
anond.hatelabo.jp 漫画に描いても映画に撮っても、味わいが淡すぎるとか単純に短すぎるとか、そういうものをすくうために言葉があるのかもしれない。
文章は漫画よりも映画よりも先に生まれて、最後にそういう役目を負うのかもしれない。
俺は、高校時代に心がどうにかなるぐらい好きだった子と教室で課題の話をしていて、彼女は椅子に座っていて俺はその目の前に立っていて、「立ちっぱなしだと疲れるだろうから、(椅子の半分ずつに)一緒に座ろうよ」と言われたことを、いまでも時々思い出す。そういうことを言う子だったのだ。
ちなみに断った。大バカ者だ。
anond.hatelabo.jp 正・狂というか、溜まったストレス的にギリギリなのでは、と思ったが、表現が豊かなので笑ってしまった。
それを笑ってる俺も、ヤベぇなこいつ、と笑ってるのか、自分事として共感を覚えて笑ってしまってるのか、よくわからない。
note.com① 正しい・正しくない
② 正しいように「見える」・「見えない」
…はまったく別物で、②に関していうと、実際に正しいかどうかはまるで関係なく、自分の発言を見ている外野を味方につければよい、という話。
・世間的に口にしづらい内容にあえて踏み込んだ感を演出し
・それが目にする者のプライドをくすぐり
・ちょっとトンチが効いている
…と、人は聞かされたものに疑いもなく、簡単に騙されてしまう。
この記事を書いた人の心憎いところは、自分がその仕組みを看破できたのはたまたま題材が漫画だったからであって、他のテーマだったら自身もしてやられていただろう、として自分から告白したところだと思う。
anond.hatelabo.jp 長兄の日常がしょうもなさすぎるが、おおよそ、みんなこんなんだったのだろう。
www.afpbb.com 「私はウソをついています」という命題はパラドックスを生むが、「私は本当のことを言っています」と言われる方が300倍くらい疑わしいので、言葉とは…という気持ちになることがある。
anond.hatelabo.jp それもまた言葉。
ソーカル事件の例のように、そこに言葉があれば、例えデタラメやランダムでも人間は意味を考えるようにできている。
これはイタズラを仕掛ける側、悪意を持っている側を利するようで、本当は、「お前らがどれだけ支離滅裂な言葉の群れを見せても、こっちは何かしらの『意味』にまとめてやるよ」という、ヤケクソのような人間のある種の知性の勝利であるように俺は思っている。
以上。言葉についての話が多かった。