はじめに
集中した作業を継続するコツの一つとして、目の前の課題とは何の関係もなく頭の中に浮かんできた雑念、言葉をメモとして書き出し、ある意味で物理化して捨てる、というライフハックがある。
この時代、我々の手元にはほぼ確実にスマートフォンがあるし、なんなら作業を進めているPCそのものがインターネットに接続されているため、一つのことが気になったら即座に調べられてしまい、リンクした先を思わず読み込んでいるうちに、そもそも何をやっていたのかわからなくなる。おそらく雑念というのは、多くの人間が考えている以上に、その人間自身を損なっている。
そこで上に書いたような技術が登場してくる次第で、効果がないものを紹介してもしかたがないので言っておくと、これはかなり効く。
少なくとも俺の脳とはかなり相性がよく、作業に頭に浮かんだことを、俺はその場でメモに書き出して「捨てる」ことで、どうにか数十分ほどの業務を継続することができている。
逆に言えば、この技術がないと俺は十分たりとも同じことを続けていられない。
その結果、PCの検索履歴には、四文屋(モツ焼きのチェーン店。安くて美味い)は神奈川に店舗があるのかとか、オーストリアで発掘された「ヴィレンドルフのヴィーナス」の画像、つのだじろうはいま何をやっているのか、「ほう、炭酸抜きコーラですか」、ナルハタタヒメ(モンハンライズのラスボス)、ベクシンスキーの画集などが並ぶことになる。
言うまでもなく、こうした検索履歴の方が、どちらかというと俺という人間の本質に近い。自分の本質に近づくと仕事にならないので、しかたなくゴミとして捨てているだけだ。俺にとって仕事とは自分でなくなることを意味する。
伝承では、釈迦やイエス・キリスト、聖アントニウスといった偉人が修行をしていると悪魔がその邪魔をしに来たという。偉人たちはその誘惑を振り払うことで、自らの本質により近づいていった(あるいは、本質を損なうことをまぬがれた)。俺の真逆であると言える。
今日は何を捨てたか
一般に言ってゴミの不思議なところは、買ったり手に入れたときは価値があるのだが、捨てるときには価値がなくなっているというところにある。これは本当に不思議なことであると思う。
「脳から捨てたゴミ」にも同じことを言うことが可能で、脳内に生まれたときは「いま、この単語をググらないとあなたは死にますよ」というぐらいの緊急性を帯びているのだが、メモに書き出して放置、後から見直すとゴミ以外の何物でもない。
ゴミ以外の何物でもないが、なんとなく面白いのも事実だ。
シュールレアリスムにおける技法のひとつに、自動筆記という、できるだけ思考を働かせずに手が動くままに文章や単語を記述するアートがあるが、それを極端に低速化して短い文章や単語に切り詰めたもの、という感じがする。要するに、「どこから出てきたのかよくわからないが、なんとなく身に覚えがある」という具合だ。
そういうわけで、特に意味はないが今日の「ゴミ」を書いておこうと思う。元ネタがあるものが多いが、いまいちよくわからないものもある。
・ハギワラとオギワラって
元ネタは『ガキの使い』絶対に笑ってはいけないの一幕、ふかわりょうがメンバーを慰問した(というテイで笑わせにかかる)ときのもの。正確に言うと、笑わせるのはふかわりょうが伴っていた片言の外国人である。
・お前、ヒラタだろ/スーパーストロングマシン
覆面レスラーの正体を暴露するもの。スーパーストロングマシンがそのレスラー。別にプロレスが特に好きなわけではない。
・ハギワラとオギワラって
二回目。一度では捨てきれない場合がある。
・ハラッサイ
『ガキの使い』のききシリーズで浜田の挑戦時、他のメンバーが外野から口を出した際に浜田が発した言葉。「ああ、うるさい」の意と思われる。
・あたい、サルティンバン子
『デビューマン』という漫画の空きページに描かれていたキャラクターとセリフ。
・たぶん、お前の下の名前も徹なんだろう
某サイトに書き込まれた、これより前に書かれた別の投稿をくさす言葉。正確には、「どうせお前の名前も徹なんだろう」だった。
・にぎり元締めってここでは呼ばれてる
元ネタなし。作業中に背後で元締めという言葉が聞こえたので、頭が勝手に生成したものと思われる。
にぎり元締めは『風来のシレン』に登場する敵モンスター。シレン(主人公)そのものをおにぎりにすることがあり、おにぎりになると弱化した通常攻撃以外の行動がとれなくなる(ほぼ死ぬ)。
・こんないっぱいの花束に誰が囲まれると思うんですか
『ガキの使い』、さよなら山崎邦正より。「こんなたくさんの花束」「思いまっか」などのバリエーションがある。文法的には間違っていないと思うのだが、妙な違和感がある。
今日のゴミは以上である。繰り返すが、ゴミの方が俺の本質なので、こうしたものを毎日捨てながら、少しでも自分を自分でなくしている。