28巻まで進んだ『アオアシ』という漫画が、ストーリーとしてもフィクションのフォーマットとしてもあまりによくできているので、少し意地悪く見てみた、という文章です。
青森星蘭との激闘を終えた主人公・アシトに、所属しているユースの上位組織であるプロチームの監督から直々に声がかかり、プロ選手たちの練習に合流できることに。
三日間のその練習で存在感を示せれば、そのままプロ契約への道が開けるという。
W杯代表選手などのスターがひしめく環境で、アシトは自分の価値を証明できるか、というのが新章のテーマ。
例によって、新しい環境では周囲との格の違いをまざまざと体感するところから始まる。
作中に登場する超天才であり先輩でもある栗林の、「自給で獲物を捕って食ってきた狼の群れに、生活懸かってない子犬が『狩りを教えてください』って出向く」という表現は素晴らしい。
28巻ではベテラン選手からの「サッカー以外の人生もある」という言葉も出てくるように、覚悟が問われ、意地の悪い見方をすれば、ニューカマーの希望をへし折るのが義務化した排他的な世界であることがわかる。
一方で、この展開が新鮮かというと『アオアシ』では全然そうではない。
ユースクラブの入団テストを受けたときも、クラブのAチームに昇格したときも、『アオアシ』はアシトが周囲とのレベルの違いにショックを受けることから始まっていた。
『アオアシ』の新章は毎回こうなのだ。従来と違う点については「プロ=サッカーで飯を食える人種」「練習の質の違い」という描写で説明されているが、今のところどうだろう? という感じはする。
どうせなら、スポーツで生計を立てること、社会人としての時間の使い方、どちらも重要で熱いテーマだと思うので、もっと詳しく描いて欲しいかも。このままだと、またアシトが「覚醒」してブレークスルーしてしまうので。
そうなんだよ、『アオアシ』というのは新しい壁が現れて、アシトがそれを突破する(=どうにか解決してしまう)ことの繰り返しなのだ。
もちろん他の多くのマンガも、もしくは現実の人生も似たようなものではあるのだが、『アオアシ』は特に、それが定型化されている印象がある。
それがなんで猛烈に面白いかというと、基本的にはアシトの成長が見ていて快感だからだけど、他のキャラクターがみんな魅力的なのもあると思う。
「アシトが新しいステージにステップアップする」→「行き詰まる」→「打開する」という合間に、主人公以外のキャラクターにフォーカスしてエピソードをはさむことで、物語にバリエーションが生まれる。意地悪い見方をすれば、『アオアシ』という作品はそのサイクルで回っている(後編に続く)。