逆について

 『いいね! 戦争 兵器化するソーシャルメディア』(NHK出版)という本にフェイクニュースに関するエピソードがたくさん紹介されていて、その中で特に興味深いものがあった。

 ところで、フェイクニュースの本場というとロシアという感じがする(インターネットの世界で本場というのも変な感じですけども)。実際、ロシア国が偽情報の発信を業務としてアウトソーシングしているという話もこの本で語られている。

 ただ、今回紹介したいのは、マケドニア(現北マケドニア共和国)で起きた出来事だ。

 マケドニアにある、失業率が25%、年間所得が5,000ドル以下という衰退しきった一つの街で、一部のティーンエイジャーたちがフェイクニュースを発信することをビジネスとして開始し、それをネット上でシェアさせることで広告収入を得て、莫大な利益を稼いでいるという。

 取材を受けたある人物は、50のウェブサイトで形成されたネットワークを運営し、半年で4,000万回の閲覧を獲得した。その収益は6万ドルに達したそうだ。

 

 未来の展望もなく貧困におちいっているとき、その状況を劇的に打破し、世の中にまとめて唾を吐きかけるような利潤を生む方法があったら、その誘惑に勝てる者はそれほど多くないよな、とは思う。

 「金に色はない」という言葉もある。正しい手段で儲けようが、汚い手段で儲けようが、収益は収益である、ということだ。

 

 一方で、俺はこの言葉を一つの警句としても理解していて、「金に色はついていないので、だからこそ注意しろよ」というようにも解釈できると思う。

 モラルの破壊や混乱の代償として手にした金だろうと、別に「これは汚い危険な金ですよ」と赤とか黒とかに塗ってあったりはしない。

 そして、そういう金ほど(無色のまま)さらに増えようとして、なおさら周囲や自身をおかしくさせて人生の本当の価値を損なわせるので、だから気をつけろよ、という意味で理解している。

 一応付記するが、当然、これは特に富裕ではない者のひがみである。

 

 ただ、この文章で言いたいことは、だからみんな正しい収入を得ような、ということではない。

 ではなくて、俺が「世の中を混乱させて嘘を振りまくことで金を増やそうとすると、何が正しいのかわからなくなる」と考えているのと反対に、逆に、「そうやってくだらない、しょうもない方法で金を膨大に稼ぐことでしか、この世界の真実は永遠に見えてこない」と考えるやつもいるんだろうな、ということだ。

 

 なんでそんなことを思ったのかよくわからないが、突発的にそう思ったのだ。俺が金について考えるのと同じように、まったく逆のことを考えているやつがこの世界のどこかにいるに違いない。漠然とそう思う。

 

 俺は、できればそいつと仲良くなりたい。

 俺と全然逆のことを考えているそいつと友達になりたい。

 なれるだろうか? そいつが俺に話をしたいと感じてくれたらできるかもしれない。そして、それと同じくらい、俺から話を聞きたいと思っていれば。

 俺を冗談で笑わせようとするのとおなじくらい、俺の冗談で笑ってくれれば。

 そうしたらきっと友達になれるだろう。

 

 ふふん。

 

 まあ、なかなかハードルが高いよな、とは思っている。