ツバメについて

 近所にある店の軒先にツバメが巣を作っていて、雛が3羽かなりでかくなってるなー、と思っていたら、この数日で全部巣立ったらしい。今朝見てみたら、巣がもぬけの殻になっていた。

 

 そもそも、なんで飛び立つのか不思議でならない。人間だったら「そろそろ、邪魔だから出ていってくんねえかなあ?」という育てている側の圧があったりするが、鳥でそういうことはないだろう。親鳥が餌を与えなくなったりするんだろうか?

 人間だって、赤ん坊のときになんで立ち上がるのか、歩くのかわからないと言えばわからないので、生き物というのは大体そういうのが体にプログラムされてるもんなんだ、と説明されたら「そうですか」という感じだが、腑に落ちるようなそうでもないような、だ。

 

 放っておけば勝手に飛んでいく思考とは切り離された一種の衝動だとしても、あの巣にいた3羽いっぺんにそのモーティヴが同時にやってきたとも思えないので、たぶん1羽1羽、時間をおいて巣立っていったのではないかな? と想像する。

 1羽いなくなったら、残された方はけっこうビビるよなー、と思う。

 えっ、えっ。あいつ何してんの? なんかいなくなったんですけど。あれ? ずっとここに3羽でいると思ったら1羽減ったんですけど。

 というのは、けっこうデカい衝撃なんじゃないだろうか。それともそんなこと考えないだろうか? なんとも感じないはずがないとは思うんだけど。

 うわ、あいついねえじゃん。

 ぐらいだろうか。どうだろう。

 

 俺だったら、飛び出す最初の1羽では絶対ないよなー、と思う。といって、最後になるのもイヤだけどなー。

 鳥の自我がどういうものか知らないが、生まれたときからずーっと、巣の中で3羽一緒。

 基本的に餌の取り合いだから味方以上に敵だろうが、食事のとき以外は、あまりにも長い時間、暗い夜も自分の周囲にもう2羽いる感覚とか、言葉で表現すればやっぱり一心同体だろう。

 巣から出たら、もうそういうことは起こらないはずだ。

 外で再び兄弟姉妹に出会っても、何も感じないかどうかは知らないが、巣の中で一緒に生まれ育って、もともと狭い空間がみんな太っていくからさらに狭くなって最終的に寿司詰めになって、傍から見てて「お前らよくそこに3羽乗ってんな」というあの感じを本人たちが思い出すことはないんだろう。

 今のフェーズを永遠に失わなければ、新しいところには進めない。幸福か不幸かは別として、生き物はそういう風にできている。達者で暮らせ。