早さについて

 どうも、世の中が早すぎる。

 大きな事件があったので報道や意見交換が過熱するのは当たり前なのだが、起きてから、まだ一週間も経っていないのに、その背景や因果関係にまで言及されていて、正直言って目が回っている。

 テレビでもSNSでもこの話題から逃れられないので(事の大きさを考えれば仕方がないが)、けっこうしんどい。

 俺と同じで目が回っている人たちはどうやって堪えているのだろう。堪えてないのか。遠くに離れて、しばらく息をひそめているのかもしれない。

 

 これから、この早さがどんどん、益々早くなっていくのだろうか。

 

 ゆくゆくは究極的に、事件が起きた数秒後にはもう、攻撃を起こした人物の素性から、なぜそれに及んだかまで公開されるようになるのかもしれない。

 それが実現したらSFだし、そういう速度が達成できる世界では、犯罪自体が第一に起こらない気もするが、限りなくこれに近づいていくことはあり得そうな気がしている。

 きっと、世の中もみんなも、それを目指してはいるんだろう。

 

 あ、そうか。

 と、このとき思ったのは、「真相」がここまでぶっちぎった早さで明らかになってしまうと、いまのような過熱した情報がもたらす息苦しさは、反対になくなるのかもしれない。

 いまの時代は、報道と言論に参加している者たちが思い思いに、だいたいみんな似たような速度で、お互いを出し抜こうとしたり敵対側の矛盾や瑕疵を探し合っているから見ていて苦しいのだ。

 これがいつか、事件が起きてから超高速で何もかもがオープンになってしまうなら、そこに喧嘩や競争が生まれる余地はないものな。

 

 何もかもぶっちぎってしまうほどの早さで真相が明かされる、遠いSFの未来にある世界。

 超高速で真実が共有されるため、論争の起きようがない、ある意味で穏やかな世界。

 それが実現するのは待てなくても(っていうか、実現したら、それはそれでディストピアっぽい)、逆のことなら、いまのこの世界でもできそうだ。

 つまり、遅さでもって、自分の心身を守るということだな。

 距離を取って、何も触れずに、考えない。暗い静かなところでじっとしている。

 それなら、今でもできそうだ。だから、この世界が苦しい人たちはきっと、暗いところに隠れたんだろう。

 やっぱり、そうしたんだろう。

 俺も同じで身を隠そうかな、と思いながらこれを書いてる。