アンチ・ジャンプスケア派こそ観るべき…なのか? 悪辣な傑作、『女神の継承』の感想について:後半戦

 前半戦はこちら。色々と内容がエグいから観る前に気をつけような、でも俳優と演出はめちゃめちゃよかったよ、という話。

 

sanjou.hatenablog.jp

 

 

 

 

 以下、ネタバレ再開。

 

 

 

 

 

ネタバレ解禁③ 「この車は赤い」の意味は?

 無数の悪霊にとり憑かれた女性ミンを救うため、ミンと思われる顔に布をかぶった人物は車に乗せられ、儀式の現場である廃墟に向かう。

 その車は黒いのだが、なぜか「この車は赤い」というステッカーが貼ってある。その意味はなんだったのだろうか?

 

 外部サイトで監督本人からヒントが出されているので、紹介する。

タイ人の迷信なんです。

例えば、車を買って、霊媒師や占い師に『この色の車をあなたが運転すると運が悪い』と云われたとしても、もう買い替えるお金がないんですよ。

だからシールを貼っている。この考え方が最後の儀式に繋がっていく

 

 おそらく、「この車は赤い」にはいくつかの意味がかかっている。

 一つ目。車に乗った布を被った人物はミンであると嘘をついていることの暗示。実際には、布の内側にいるのはミンの母親のノイであり、ミンを呪う悪霊たちと、映画を観ている観客の両方をだまそうとしている。

 二つ目。ミンの叔母であり女神・バヤンの巫女でもあるニムが、本当はバヤンを完全には信じていなかったことの暗示。

 ニムは儀式の前日に死亡してしまい、『女神の継承』は彼女がまだ生きていた時点のインタビューでエンディングを迎えるのだが、ニムはそこで、「バヤンの存在を感じたことはない」と告白する。

 それでもニムは巫女としての仕事を長年続けてきたし、バヤンの存在を感じるか、と姉であるノイに尋ねられた際は、「会ったことはないが、存在は感じる」と嘘をついた。黒い車に貼られた「この車は赤い」というステッカーは、彼女の嘘を示している。

 三つ目。ここで、嘘と真実が逆転する(ただし、これは憶測)。

 つまり、目に見える色が黒であろうと、「赤色」というある種の呪いを込めれば赤になるということ。

 それは、食べてもいい犬と食べてはいけない犬を人間が都合よく使い分けているように、意識の持ちようこそが現実を左右する強い力を持つということ。

 深読みを承知でもう一つ、ニム役のサワニー・ウトーンマのコメントを引用する。

「私は生きてる」

 

ネタバレ解禁④ 死んだニムの家に湧いていた蛆虫の謎

 儀式の前日、ノイはニムに電話をするが出ない。彼女の家から着信音は聴こえるので、不安になったノイが鍵を破壊して中に入ると、ニムは死んでしまっている。儀式に利用すると思われる供物には蛆虫が湧いている。

 ニムが死んだ理由は、悪霊に殺されたという説と、生前のインタビューでバヤンへの疑いを口にしたため、バヤンに殺されたという説がある。どちらが正解かはいったんおいて、あることが気になる。

 これは推測なのだが、ニムに電話をかけてもつながらず、ノイがすぐに不安になるということは、ニムが死ぬ前日まで、ニムとノイは連絡が取れていたのではないか。毎日できていた連絡が急に絶えたから、ノイは心配になったのだと思う。

 そうなると、蛆虫の存在は妙だ。確かに蠅はすごい早さで繁殖するとはいえ、一日や二日掃除をしなかったぐらいで、作中で描かれたほど大量に増えたりはしない。

 つまり、ニムはまだ生きているうちから、儀式の準備を放棄し、家で虫が増えるにまかせていた、ということになる(もちろん、超常的なパワーで虫が急に増殖した可能性もあるが)。

 ここで疑問が生まれる。ニムはミンを救うための用意をしていたはずなのだが、本当に救済するつもりがあったのか。

 というか、彼女は本当に、悪霊やバヤンに殺されたのか。

 

ネタバレ解禁⑤ 俺は犯人はニムだと思う。

 何をもって犯人とするか、ということなので、最後にミンもしくはノイを乗っ取ったのは誰か、というとニムではないかと思う。

 証明ではなく、こう思うぐらいの話なのだが、他の謎と合わせて整理していく。

 

・ニムは本当の霊能力者だったのか?

⇒ Yes.

 『女神の継承』のエンディングで、生前のニムが女神バヤンの存在を感じたことはない、と告白したことから、そもそもニムは霊能力者ではなかったのでは? という疑問が生まれる。

 しかし、ニムは作中で、卵を使った儀式や正気を失ったミンの一時的なケアを成功させているので、特殊な力があるのは確かなのだ。むしろ、こうした能力があるのにバヤンを信じ切れなかった、というのが物語のミソではないかと思う。

 

・祈祷師サンティは本当の霊能力者か?

⇒ おそらく、Yes.

 祈祷師サンティの役どころは、普段は見せかけの儀式で金を稼ぎながらも、本物の霊能力も持つ祈祷師というものだ。

 ニムと比較すると、サンティの能力は疑わしい。ニムとは違って直接霊能力を示す場面も(おそらく)ないし、終盤に描かれる本気の儀式も、ビジネスでやっているショーと違うかと言われると、同じようなも雰囲気じゃねえ? という気もする。

 彼は洞察力には長けているが、それも霊能力というより、単に情報収集が得意なだけかもしれない。本物、と判断するのは難しい。

 ただ、上で書いたとおり、ニムはほぼ確実に真の霊能力者だ。そのニムがサンティを頼っていたということ、また、悪霊が封じ込められて振動する壺を見てもサンティが平然としていたことから、やっぱり常人とも違うんじゃないかな、と思う。おそらく、彼も本物だったのではないだろうか?

 

・最終盤、ノイ/ミンに乗り移ったのは誰だったのか?

 で、これである。

 実は、俺は中盤から割りと、ニムが黒幕なのでは、という目線で見ていた。そのため、死んでしまったときは「あれ、違ったか」と思ったのだ。

 ただ、よく考えてみれば死者になることで得られる、あるアドバンテージがある。

 その利点とは、他人に乗り移れるということだ。そもそも、『女神の継承』という物語自体が、ずっとそのこと、死者とは他人に乗り移って苦しめるもの、ということを描いているのだ。

 

 もしかすると、何かの目的を果たすために、ニムは自ら命を絶ったのではないか?

 そして、他人に乗り移れる悪霊となり、誰かにとり憑いたのでは? では、それは誰だったのか?

 

 おそらく、その相手は姉のノイか姪のミン、どちらかだろう。

 もちろん、ノイとミンだけでなく、カメラクルーを除くほぼ全員が悪霊にとり憑かれたので、一族の長兄であるマニやサンティの弟子たちにニムがとり憑いていてもいいのだが、それはあんまり面白くないので。

 なお、ノイとミンは両方とも「誰か」にとり憑かれているので(ノイの場合はただのトランス状態という可能性もあるが)、一方に乗り移ったのがニムなら、もう一方は何だったのか、ということについても考える。

 

 まず、ミンの方にニムがとり憑いていた場合。ミンはすでに複数の悪霊に支配されているが、そのうちの一体としてニムが加わった、と考える。

 このケースは、ミンが最後にノイにガソリンをかけて火を放つシーンをより合理的に説明できるという利点がある。中盤で明らかにされるとおり、ノイは自分が巫女になりたくなかったため、様々な工作を働いて妹のニムに役目を押し付けた経緯がある。

 まだ生きていたときのニムはそれを許したように見えたが、実際は違ったのかもしれない。そして、ノイの告白を受けて許すかどうか悩んだのち、姉に復讐することにする。

 こうしてニムは自死を選び、死後にミンの体を使って姉に復讐を果たした。

 このとき、ノイの中には何が乗り移っていたかというと、おそらくバヤンなのだろう(ノイ本人もそう言っていたし)。

 

 ただ、もっと色々と説明がクリアになりそうなのは、ノイにニムがとり憑いており、ミンにはバヤンが憑いている場合である。

 終盤、ノイは途中で失敗した儀式をやり直す、と宣言して「バヤンが自分の中にいるのを感じる」と発言する。

 ただ、注意しないといけないのは、前の巫女であるニムは生前、バヤンの存在を感じなかった、と告白していることだ。つまり、本来ならバヤンは巫女でもいるかいないかわからないものなのだ(巫女によって感じ方が違う可能性もあるし、極論、ニムにはバヤンが憑いていなかった可能性もあるが…)。

 そうなると、ノイが「中にいる」と感じるものがバヤンであるはずがなく、別の何かといえば、それはニムではないか、と推測する。

 バヤン(ニム?)に憑かれたノイは、儀式を再開すると言った後、なぜか線香を灰に埋めて消してしまう。これで悪霊の力が強まったのか、その場にいる者は全員とり憑かれて発狂する。

 ニムはこうしてその場から正気の人間を排除することで、ノイを守れる者をノイ自身の手によって除外させたのではないだろうか。その後、ノイはやって来たミンによって首を絞められる。ノイは無力化された後、火を放たれ、ニムの恨みも晴らされる。

 このとき、ミンの中にはおそらく、バヤンがいるのだろう。根拠としては、かつて自分を継承するのを拒否したノイにミンの体を使って報復したというのもあるが、もっと大きな理由が二つある。

 一つ目。これもほとんど憶測だが、ミンにバヤンが憑くところまで、ニムの狙い(願い)のうちだったということ。

 ノイをそそのかし、線香を消させた時点で人間側の全滅はほぼ確定している。このとき、バヤンがもし実在し、次の継承先を求めているなら、この危険地帯からミンを救出するため、ミンに憑かざるを得ない。

 ニムが「いるかどうかわからない」と言ったものが、継承者の危機を救うために出現せざるを得なくなる。

 これはものすごく大きなポイントだ。ニムは死者となって人間を追い込むことで、自らはバヤンを追い込んだのではないか。自分が実在を追い求めたバヤンを。

 二つ目の理由は、ずっとシンプルだ。

 映画のタイトルが『女神の継承』なら、実際に女神がちゃんと(?)、主人公に継承されて終わった方がすっきりする。まあ、そういうことだ。

 

 長々書いたが、正しいかどうかはよくわからない。

 この映画には他にも、冒頭で現れた盲目の老婆やミンの見る謎の夢、ミンと兄との関係など、不明点が多い。

 また、強大な一神教でありながら信者を救済できないキリスト教の存在もテーマだと思うが、この文章では触れなかった。

 もっと合理的な解釈もあると思うので、しばらく感想を掘ってみたい。また、前半戦で書いたとおり、ジャンプスケアの連続には文句を言うけど、それでも楽しかった。

 いつか配信されたら、また観たいな、と思う。

 

 ちなみに、ミン目線でのスピンオフ企画があるそうですよ。観たいかって言われると…まあ、観たいか。以上です。