AIすごくね?
AIに絵(画像)を描いてもらうことが話題になっている。
どちらかと言うと冷ややかに見ていた。特に「◯◯(画家の名前)風」に描いた何か、という画像を見たときは、けっこう不愉快な感じがした。
「あくまで◯◯風の、だからな。楽しんでる連中はそこんとこ勘違いすんなよ」
面倒くささ丸出しで、そう思っている。
別に美術の知識があるわけでもないが、画家というのはみんなそれぞれの人生や信念があって個々の作品に「たどりついた」のだと思っている。描くものには理由があって描かれたんだし、描いてないものは描いてないのだ。
◯◯がもしあれを描いたら、という仮定にはなんの意味もない。
自分の描いた絵以外描けなかったことも含めて、◯◯という画家なのだ。
しかし、なんか段々と、「◯◯風の何か」から「◯◯が描いた何か」にぐずぐずとスライドしつつある気配があって、勝手にムカついていたのだった。
人工知能は異形の夢を見るか?
ところが、ですよ。
これはすごくないですか? 異形崇拝という単語で生成されたものらしいけど、「おお…」と思ってしまった。
俺は当のサービスを触っていないので、実際に出力するまでは細かい条件やコツがあるのかもしれないが、「異形崇拝」という漠然としたお題でも、ものすごくそれっぽいものが出てくるようだ。
いやいや、というか。この「それっぽさ」を表現(と言っていいかわからないが…)できていること自体が、不思議と言えば不思議だ。
本来、異形という単語でイメージされる範囲はかなり広い気がする。その中で絶妙に、異形でありながら神性を感じられるものが抽出されているのは、崇拝という言葉が組み合わさり、うまく意味を形成したのだろうか?
単語を与えただけでは、全然トンチンカンな出力しかしなさそうなのに、実際は、かなり「らしい」ものが出てくる。ざわざわするぜ。何が働いてそうなったのか、興味深さと、怖さと嬉しさと。
I have an apple.
出展:魔術として理解するお絵描きAI講座|深津 貴之 (fladdict)|note
別のユーザーが「I love apple.」というお題で注文したところ、こういうものが出てきたらしい。いいねー。
何がいいか、何と比べていいかというと、いわゆる画像検索で表示される「林檎」と比べると、AIが生成したものの方がずっと好ましくて、興味深い。
それはデザイン性の問題? それも一つの理由かもしれないが、もう一つ理由があると思う。
AIが画像をクリエイトする仕組みはよく知らないが、ネット上に上げられている膨大な林檎の画像や情報を集約した結果として、成果を表示しているのだろう。
このときの、集約というのがポイントだ。つまり、インターネットというのが地球の数多くの人間が接続しているある種の阿頼耶識、集合的無意識だとすれば、そこから汲み出された「林檎」は、人類の精神の底で共有された林檎の原型とも言える。
俺たちは、デザイナー個人の美意識を反映したものではなく、数えきれない俺たち自身の心の中にある「林檎」を見る術を手に入れたのだ。俺はそれがすごいと思う(続く)。